「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

日本陸上競技選手権大会の歴史に残る名場面5選

2017 6/13 12:41茶色野うさぎ
室伏広治,Ⓒゲッティイメージズ
このエントリーをはてなブックマークに追加

Ⓒゲッティイメージズ

日本陸上界のスターたちがしのぎを削る大会が、日本陸上競技選手権大会だ。いままで様々なスター選手たちの熱い戦いが繰り広げられ、名場面が生まれてきた。今回は印象に残る名場面を5つピックアップして紹介する。

名場面その1、400m走・高野進さんの日本記録更新

現在は指導者として名前を知られる高野進さんだが、1991年6月16日の日本陸上競技選手権大会で偉大な記録を打ちたてた。高校に入ってから足の速さに気づいた高野さんは、思い切って400mに転向する。日本人が勝てない種目だったからこそ逆に走り方の研究に打ち込み、独自で突き進みはじめた。
研究の成果が結実したのが1991年で、高野さんは30歳になっていた。この年の日本陸上競技選手権大会で44秒78という日本記録を打ち立て優勝、続く世界陸上でも決勝進出を果たすという偉業をなしとげた。
この日本記録は2017年3月現在でも破られていない、すばらしい記録だ。

名場面その2、100m走・伊東浩司さんが朝原宣治さんの記録に並ぶ

1990年代、スプリンターとして開花し第一人者として活躍していたのが、朝原宣治さんだった。日本記録をどんどん更新していき、確固たる地位を築いていたが、それに並ぶ活躍を見せたのが、伊東浩司さんだった。
現在、日本陸連の強化委員長を務める伊東浩司さんは、現役時代から走り方の研究に熱心で、当時の常識に縛られない走り方を身につけていく。そして迎えた1998年10月の日本陸上競技選手権大会で、前年に朝原さんが打ち立てた100mの日本記録と同じ10秒08のタイ記録で優勝する。この年、伊東さんは絶好調で、12月のバンコクアジア大会では日本新記録の10秒00という記録を打ち立てている。

名場面その3、ハンマー投げ・室伏広治さんの引退

日本でハンマー投げという競技を引っ張り続けた鉄人・室伏広治さんが初めて日本陸上競技選手権大会で優勝したのが、1995年の第79回大会だった。そのときは69.72mと世界で戦える記録ではなかった。
その後はトレーニングと投げ方の研究に励み、2003年には84m86という日本記録をたたきだした。翌年のアテネオリンピックでは、アジア人初となる投擲種目での金メダルを獲得する活躍を見せてくれた。そして2016年6月、41歳で迎えた第100回の日本陸上競技選手権大会。自己ベストから20メートルも低い64m74という記録に終わり、引退をきめることとなった。

名場面その4、女子200m・福島千里選手の会心の走り

女子の日本短距離界の顔ともいえる存在の福島千里選手は、2008年ごろからその力を発揮し、一躍脚光を浴びる存在となっていった。その後2010年ごろまでは日本新記録を続々と打ち立てて、期待は高まる一方だった。しかしその後はなかなか記録が伸びない時期が続く。天然っぽいキャラのため悩みなどなさそうに見えるが、本人は思いつめることもあったようだ。
しかし2016年の第100回日本陸上競技選手権大会に出場すると、200mで22秒88という好タイムで優勝。自分がもつ日本記録を6年ぶりに更新して喜びがはじけた。

名場面その5、男子100m・新世代の3選手そろい踏み

2016年6月に開催された第100回日本陸上競技選手権大会の中でも最も印象深い戦いとなった、男子100m。10秒越えが期待された本命・桐生祥秀選手、2015年のケガから復活してきた山縣亮太選手、そしてダークホースのケンブリッジ飛鳥選手の3人が同じ舞台で激突するという夢のような場面が生まれた。
勝負はジャマイカ合宿で強化してきた、ケンブリッジ飛鳥選手が10秒16で優勝、2位に山縣選手、3位に桐生選手という結果に終わった。桐生選手は3位に終わるが、派遣標準記録を突破していたためオリンピックの代表に内定。本人はこの不本意な決まり方に悔し涙をながした。

まとめ

日本陸上界のなかでも最高の舞台である日本陸上競技選手権大会では、毎年たくさんの名場面が生まれているのだ。2017年は、どのようなシーンが見られるのだろうか?楽しみである。