大阪・びわ湖毎日統合大会で2時間7分31秒
日本男子マラソン界に、その名のごとく、新たなスターが現れた。2月27日に行われた「大阪マラソン・びわ湖毎日マラソン統合大会」で、初マラソンの星岳(コニカミノルタ)が2時間7分31秒で優勝を飾った。
このタイムは日本男子の初マラソンのタイムとしては歴代最高となる好記録である。これまでは名前とは逆に、どちらかと言えば地味な存在だったが、一気に男子マラソンの注目株に躍り出た。
名字は「ほし」、名前は「がく」と読む。社会人1年目の23歳。帝京大時代に学生駅伝界では知られた存在だったが、いわゆる「スター選手」ではなかった。今回も初マラソン組では、3位になった国学院大出身の浦野雄平(富士通)の方がはるかに有名だった。
高校時代は全く無名も、箱根の10区で区間賞獲得
宮城・明成高時代は全くの無名。そもそも、明成高はバスケットボールでは全国屈指の強豪だが、陸上では違う。県内には仙台育英高や東北高といった強豪校があり、全国高校駅伝に出場することはなかった。
花が開いたのは帝京大に進んでから。2年次に箱根駅伝の最終10区で区間賞をとったことで、学生駅伝界は知られる存在となった。3年生では花の2区を担当し、9位に。4年生ではエースへと成長し、主将も任され、2区で区間12位だった。堅実な力はあるものの、スター選手のような輝きを放つ選手ではなかった。
2021年にコニカミノルタ入社。2022年のニューイヤー駅伝では4区を走り、区間15位。目立つ結果は出せなかった。だから、今回の結果については「ちょっと出来すぎと思うぐらい」と本人自身が驚いている。
厚底シューズの影響で初マラソン歴代10傑は様変わり
今回、星の記録で注目されたのは「初マラソン日本最高」というカテゴリーである。これは文字通り、「初めてマラソンを走った日本選手の記録で歴代1位」ということである。次の表は、初マラソン日本歴代10傑になる。
今大会からは星のほか、3位に入った浦野が歴代4位の好記録だった。
一目瞭然ではあるが、10傑のうち、2020年以降の記録が九つ。いわゆる「厚底シューズ」の影響でタイムが縮んでいることが、大きく影響しているものと思われる。さらに言えば、昨年のびわ湖からは作田将希(JR東日本)、足羽純実(ホンダ)、山下一貴(三菱重工)、土井大輔(黒崎播磨)の5人が10傑入りしている。それも歴代2位になる作田は、このびわ湖では14位という、あまりいい成績ではなかった。
これは、昨年のびわ湖が好条件に恵まれたから。優勝した鈴木健吾(富士通)が2時間4分56秒の日本記録をマークするなど、過去の日本レースでは例を見ないほど好記録が生まれたレースだった。
「初マラソン日本歴代最高」の先人は代表選手に
逆に言えば、10傑のうち、厚底シューズでなかった時代の唯一の記録である藤原正和の存在が浮かび上がる。藤原は当時の初マラソン日本最高をマークし、そのまま世界選手権の代表にも選ばれた。現在は、母校中大の監督を務めている。
今回の星と浦野の走りのため、10傑外になった選手を1人だけ紹介したい。
91年の別大マラソンで当時の初マラソン日本最高の2時間8分53秒をマークして優勝した森下広一(旭化成)だ。この当時、初マラソンで2時間8分台は驚異的だった。森下はこの後、トップ選手への階段を駆け上がり、92年バルセロナ五輪では銀メダルに輝いた。
森下、藤原のように、「初マラソン日本最高」という称号は、かつては日の丸を背負うステップだった。星は先人たちに続けるのか。星は今回の結果で、2023年秋予定で24年パリ五輪代表選考会「グランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場権も獲得した。真価が問われるのはこれからだ。
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