びわ湖毎日マラソンで優勝、給水失敗を仕掛けどころに
最後の開催となるびわ湖毎日マラソンで、歴史的な記録が生まれた。富士通所属でマラソン5回目の鈴木健吾が日本選手で初めて2時間5分を切る2時間4分56秒の日本新記録で優勝した。大迫傑(ナイキ)の持っていた日本記録を33秒も更新できたのはなぜだろうか。
鈴木のほかに、土方英和(ホンダ)、サイモン・カリウキ(戸上電機製作所)の三つ巴だった36キロ過ぎ、給水所で鈴木はしくじった。給水ドリンクを取り損ねた。だが、鈴木は逆転の発想で、これを好機に変えた。
「もともと37キロくらいで仕掛けようと思っていた。ちょうど給水を取り損ねたので行くしかないと思った」
競り合っていた2人がボトルを取る隙をついて、一気にスパートし、勝負を決めた。冷静、かつ柔軟な判断が鈴木の快挙の裏にあった。
終盤はアフリカ勢顔負けのペースアップ
鈴木のスプリットタイムを見ればわかるが、前半よりも後半の方が速い。これを「ネガティブスプリット」と呼ぶ。好記録がで出る時はネガティブスプリットになることが多い。
鈴木の場合、5キロごとの所用タイムで言えば、15分台への落ち込みが1度しかなかったことも大きい。大迫が前の日本記録を出したときは2度15分台があった。
そして、鈴木の走りで最も目を引くのが、35キロからの5キロが最も速いということだ。そのタイムは14分39秒。ある実業団の監督は「このペースアップだったら、アフリカ勢がいても、振り切っていたかも」と語る。
ちなみに35キロの通過時点では、大迫が出した日本記録の時より、25秒遅かった。大迫は35キロからの5キロで15分15秒かかったが、鈴木はそれより36秒も速かった。
鈴木はレース後、「いつも後半失速していたが、克服できてよかった」と語ったが、克服どころか、後半のスピードが鈴木の武器になっていた。
気温、風、ペースメーカー、すべてがはまった
もちろん、記録は鈴木の力の証明だが、さまざま好条件に恵まれたのも事実だ。
一つは気温。最高で13.5度。寒くもなく、暑くもなく、走りやすい気温だった。さらに、終始曇りで、日差しにさらされることがなかったことも大きい。
湖畔の最大の厳しさとなるべき風がほとんど吹かなかった。通常なら後半は向かい風だが、今回はむしろ追い風だった。
そして、ペースメーカー。海外からペースメーカーを呼ぶと、ペースが上下することが多いのだが、今回は日本人と、日本にいる外国人がうまくペースを刻んだ。さらに、ペースメーカーがいなくなった30キロからはカリウキがペースメーカーのごとく、レースを引っ張ったことも大きい。
ちなみに、今回は2~5位が2時間6分台、15位までが2時間8分を切り、42位までが2時間10分を切るという好記録ラッシュだった。好条件に加え、同時期にあるはずの東京マラソンが延期となり、有力選手が集中したこともその要因といえる。びわ湖での開催継続が困難になったのは、記録が出にくく、有力選手が東京マラソンに集まることが一因だったことを考えると、なんとも皮肉な感じがする。
なお、びわ湖毎日マラソンは来年から大阪マラソンに統合される。これまで大阪マラソンは秋に開催されていたが、次回からは2月の最終日曜日に開かれることが決まっている。予定通りなら、次回は2022年2月27日に開かれることになる。
2時間5分切りは世界で59人目
鈴木の日本記録は世界歴代では57位タイになる。そう聞くと、たいしたことがないと思うかもしれないが、そうではない。
2時間5分を切った選手は鈴木以外に58人(2月28日現在)いるが、その全てがアフリカ勢かアフリカにルーツのある選手である。アフリカ系以外の選手では初の快挙なのだ。
また、100メートルの一流の証しである9秒台はこれまで145人が達成している。そのことから考えても、マラソンで2時間5分を切ることの偉大さがわかる。
ケガを克服、スピード強化に
最後になったが、鈴木の経歴を紹介する。愛媛県の宇和島東高校出身の25歳。神奈川大3年の時に、箱根駅伝の花の2区で区間賞を獲得した。4年生の時の全日本大学駅伝では、アンカーとして東海大を逆転し、チームを優勝に導いた。
ロードに強く、富士通での早くからの活躍が期待されたが、入社当初はケガに泣かされた。股関節、ひざなどを痛め、1年目はほとんどレースに出られなかった。
今回がマラソン5回目だった。これまでの自己ベストは初マラソンの時の2時間10分21秒だったから、いきなり自己ベストを5分25秒も縮めたことになる。
いきなり記録が上がった要因には、スピードの強化がある。富士通の福嶋正監督は「この1年で、ようやく富士通のトラック練習ができた」と語る。先述のようにケガが多かったが、地道な筋トレなどでそれを克服。これまではひとまずスタミナに特化してマラソンを走ってきたが、体も丈夫になったことでスピード練習ができるようになった。1万メートルでは、「スピードがある選手」と認識されるようになる27分台に突入した。
最大の武器は暑さへの強さ
人柄は謙虚でまじめ。レース後に鈴木は「世界との距離は感じています。今日はたまたま勝った」と語るほど。練習の虫でもあり、福嶋監督いわく「こつこつと練習できる」タイプだという。
走りの武器は足首の柔らかさ。福嶋監督は「足首が軟らかいから、効率的に走れる」と言う。163センチ、48キロの小柄な体から生み出される小気味いいい走りは、そんなところに要因があるのかもしれない。
そして、夢が広がる強さもある。福嶋監督によれば、暑さにめっぽう強いという。暑いレースといえば、五輪や世界選手権になる。日の丸を背負って戦う姿を早くみたいものである。
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