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100年で2秒短縮…陸上男子100メートル日本記録の変遷

2020 7/2 06:00SPAIA編集部
(左から)小池祐貴、サニブラウン・アブデル・ハキーム、桐生祥秀Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

飯島秀雄がメキシコ五輪で10秒34

陸上のサニブラウン・アブデル・ハキームが男子100メートルで日本新記録の9秒97をマークしてから1年以上が過ぎた。本来なら東京オリンピックに向けて機運が盛り上がっている頃だが、新型コロナウイルスの感染拡大により1年延期。わずか10秒に凝縮された男たちのドラマが今から待ち遠しい。

0秒01を短縮するために血の滲むような努力をしてきたスプリンターたち。その歴史を知ることで、記録の重みや価値をより知ることができるだろう。そこで、これまでの100メートル日本記録の変遷を振り返ってみたい。

陸上男子100メートルの日本記録変遷


最初に認定された日本記録は1911年の12秒0。手動計時だったため誤差はあるだろうが、約100年で2秒以上縮めたことになる。

1932年ロサンゼルス五輪で6位入賞し、「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳が世界タイ記録の10秒3をマークしたのが、1935年6月15日に行われたフィリピンとの対抗戦だった。

電動計時で最初に認定された日本記録は、1968年のメキシコ五輪で飯島秀雄がマークした10秒34。それから19年後の1987年に行われた東京国際ナイター陸上で、ベン・ジョンソンと走った不破弘樹が0秒01更新すると、翌1988年には青戸慎司が四大学対校で10秒28を記録し、初めて10秒3の壁を突破した。青戸はソウル五輪4×100mリレー、バルセロナ五輪100mと4×100mリレーに出場し、1998年にはボブスレーで長野冬季五輪にも出場している。

さらに1990年に当時、東農大二高の3年生だった宮田英明が10秒27をマークすると、2年後の1993年には当時日大の井上悟が一気に0秒07縮める10秒20を記録。ハイペースで日本記録が更新されていった。

3度も記録更新した朝原宣治、9秒台に迫った伊東浩司

高速化の波に乗って颯爽と現れたのが朝原宣治だった。同志社大在籍中だった1993年の国体で10秒19をマーク。「和製カール・ルイス」と呼ばれ、一躍スターダムを駆け上がることになる。

1996年の日本選手権で10秒14と自らの記録を更新すると、翌1997年のローザンヌ・グランプリでは10秒08と3度目の日本記録更新。ついに10秒0台に突入した。

オリンピックには4大会連続出場し、2008年北京五輪では4x100mリレーのアンカーとして銀メダルを獲得。日本男子トラック種目でオリンピック初のメダルとなった。

朝原が3度目の日本記録更新を果たした翌1998年、夢の9秒台目前に迫ったのが伊東浩司だった。12月13日に開かれたバンコクアジア大会の男子100m準決勝。追い風1.9メートルに乗って出した記録は、速報タイムで9秒99だった。伊東は跳び上がって喜んだが、程なくして10秒00に訂正され、9秒台は幻となった。

桐生祥秀が初の9秒台、2年後にサニブラウンが新記録

9秒台突入は時間の問題かと思われたが、数多のスプリンターが壁にはね返され、奇しくも不破が飯島の記録を更新した時と同じ19年の歳月が流れる。

2017年9月9日、日本学生対校選手権。福井運動公園陸上競技場には1.8メートルの追い風が吹いていた。好スタートを切った桐生祥秀は「ジェット桐生」と呼ばれる天性のスピードを発揮。9秒98と表示されると大歓声が沸き起こり、桐生も全身で喜びを表現した。日本人で初めて9秒台に突入した瞬間だった。

桐生の記録を0秒01塗り替えたのがサニブラウン・アブデル・ハキーム。2019年5月に9秒99をマークすると、同年6月6日、米テキサス州オースティンで行われた全米大学選手権準決勝で、追い風2.4メートルの参考記録ながら9秒96をマークし、翌7日の決勝では追い風0.8メートルの条件で9秒97の日本新記録を樹立した。

その後、同年7月20日にはダイヤモンドリーグ・ロンドン大会で、小池祐貴も追い風0.5メートルで9秒98をマーク。日本の男子短距離勢は稀に見るハイレベルな争いを展開している。

延期された東京オリンピックは2021年7月23日開幕。競技別の日程は発表されていないが、どんなドラマが待っているのか、楽しみでならない。

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