鰻の捕獲、蛇の狩りを意識する田辺又右衛門
古流の柔道家の中で寝技の名選手と言えば、「田辺又右衛門」さんの名前を出さなくてはならないだろう。
彼は寝技の極意を「鰻の捕獲と、蛇の狩りを意識すること」だと語っている。スルスルと逃げる鰻も要所を抑えれば動けなくなること、蛇にようにスルスルと身体を使い相手の自由を奪うこと。
その言葉に違わず、田辺さん自身も寝技をかけるまでの一連の動きに無駄はなかった。淡々と相手の間合いへ入り、綺麗に寝技を決めることができたのだ。
柔道の中では一見地味に見える寝技。 そんな寝技だが、一度技が入ってしまえば、勝負をあっさりと決めてしまう一手となる。 寝技を得意とした名選手を紹介し、彼らの凄さに迫っていきたいと思う。
古流の柔道家の中で寝技の名選手と言えば、「田辺又右衛門」さんの名前を出さなくてはならないだろう。
彼は寝技の極意を「鰻の捕獲と、蛇の狩りを意識すること」だと語っている。スルスルと逃げる鰻も要所を抑えれば動けなくなること、蛇にようにスルスルと身体を使い相手の自由を奪うこと。
その言葉に違わず、田辺さん自身も寝技をかけるまでの一連の動きに無駄はなかった。淡々と相手の間合いへ入り、綺麗に寝技を決めることができたのだ。
前田光世は寝技主体のブラジリアン柔術の祖だ。柔道の普及のためにアメリカやブラジルへ渡り、多くの試合を重たが、常に無敗を誇った。
ブラジルで出会ったグレイシー一家に柔道を指南。この時は「治安が悪いから身を護るための手段として」の柔道指南だったそうだ。初めは非常に些細なきっかけだったのだ。
その後、ブラジルでは前田光世とグレイシー一家によって柔道の普及促進が進み、ブラジリアン柔術の完成へと繋がるのだ。
柔道の総本山と言えば「講道館」だ。ここから多くの一流の柔道家が輩出されてきた。
そんな講道館流の柔道を普及促進させていったのが、1871年生まれの磯貝一さんだった。彼は多くの流派の柔道家と対戦する中で、講道館の柔道は寝技の技術に欠けていることに気付いた。
その後、講道館では彼の指導の下、寝技の修練が徹底されるようになり、講道館はより一層の隆盛に至った。
彼の活躍なくして講道館流柔道の強化、寝技の大成は無かっただろう。
寝技に限らず、柔道の技全般で最強と称されるのが木村政彦さんだ。
彼は「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで言われるほどの強さを誇った。公式戦では15年間もの間無敗という、とても強い柔道家だった。
彼の強みは練習量にあったと言われており、毎日膨大な筋力トレーニングとイメージトレーニングを欠かさなかったそうだ。
その積み重ねから発動される寝技は流れに無駄が無く、一度相手を抑えると逃すことが無かったのだ。彼に寝技に入られたらもう終わりだと、何人もの柔道家が感じたようだ。
ベイカー茉秋選手といえば、2016年のリオ五輪の90キロ級で金メダルを獲得した新進気鋭の若手選手だ。
彼の凄さは「冷静な試合運び」にある。投技一本で大胆に決めていくのではなく、立ち技を使用しつつ有効をとり、自分のペースに持ち込む。そして相手が揺らいできたところで、寝技をスッと決めてみせる。
そんな冷静な試合運びで自身を確実に勝利へと導いてきた。1994年生まれとまだ若いので、この先にも大いに期待できる選手だ。
一見地味に見える寝技にも多くの名選手がおり、現在の柔道界に大きな功績を遺した柔道家も大勢いる。 そんな彼らの活躍を踏まえながら柔道の寝技をみると、また違った楽しみ方もできそうだ。 今後も柔道という素晴らしいスポーツを楽しんでほしい。