福原愛の言葉(1)
失意に終わった北京五輪の後、2010年11月に中国で開催されたアジア大会で、福原愛はシングルス・ダブルス・混合ダブルスの全種目で銅メダルを獲得する偉業を成し遂げる。
この偉業に際し、
「卓球の神様のおかげだとしか思えないが、もっと頑張ればもっといい結果が出せるって、北京五輪の後、初めて前向きな気持ちになれました」
と喜びを見せたが、その後
「喜びはほんの一瞬です」
と答え、
「良い結果を残せば、必ずその後に新しい重圧を背負うことがわかってますから」
出典
書籍名:number808号
出版社:株式会社文藝春秋
と付け足した。
わずか4歳にして国民的スターとなった苦悩と、常に新しい壁に向かって挑戦してきた彼女の戦いが、短い言葉の中に詰まっていた。
石川佳純の言葉
頭の中で考えるより声に出して自分に言い聞かせるんだ。
出典
書籍名:number779号
出版社:株式会社文藝春秋
ピンチになると石川佳純は「勝とうとしてんの?」「しっかり自分のプレーやって!」と自分に言い聞かせるように声に出し、自分との対話をすると言う。
福原愛が
「自分より勝利に対する意欲が強い選手です」「見習いたい所があり、彼女がいるから自分も頑張れる、いつも刺激をもらえるライバルです」
出典
書籍名:number779号
出版社:株式会社文藝春秋
と評する石川佳純は、福原が3歳、伊藤美誠が2歳から本格的に卓球を始めたのに比べ、6歳という世界的に見ても遅めのスタートながらも、世界のトップで活躍する選手となった。
そんな彼女の活躍の原動力となった精神力が垣間見える言葉だ。
水谷隼の言葉
自分は捨て石になってもかまわない。
出典
書籍名:number815号
出版社:株式会社文藝春秋
ロンドン五輪に日本のエースとして出場してメダルも期待された水谷選手。シングルス・団体共に敗退するが、それをきっかけに卓球界に一石を投じる決断をする。
それは、当時公然と世界の卓球界に広がっていた違法行為「ラケットへの付加的な処置」に対して、現役選手として告発を行うこと。
確認の方法が無かったその違法行為に対して、誘われたこともあったが自身は一切それにのらず、「今、ラケットを振り始めたばかりの子どもたちにも、同じように楽しいと感じてほしい」との思いを込めて、この問題が解決するまで国際大会に出場しないという、現役選手にとって最も大切な時間をかけて闘うことを表明した。
この戦いを経て獲得したリオ五輪の銀メダルは、より大きな喜びだったことだろう。
高島規郎の言葉
伝説のカットマンとして現役時代は世界第3位の経験もある高島規郎氏の指導者としての言葉。
卓球では試合中に1度だけ1分間のタイムアウトを取ることができるのだが、競り合った試合の中ではデュースで1本とってから、あと1本でゲームが決まる前にタイムアウトを取ろうとする選手が多いそうだ。そんな時に選手に伝えるのは、
「ミスをしても次は必ず入る、2本ミスをすることはない」「だからこの一本から勝負に行け」
出典
書籍名:選手の力を引き出す言葉力 著者名:高島 規郎 出版社:株式会社卓球王国
との言葉。
ここでタイムアウトを取るということは、選手の心理として競り合った苦しさから逃げたいから。そこで落ち着いて行けと言ってしまうと、どうしても守りに入ってしまう。
しかし、本当に苦しいのはあと1本でやられてしまう相手。なのでここでは思いきって勝負できるように背中を押してあげることが鉄則だそうだ。
福原愛の言葉(2)
そしてもう1つ、福原愛の名言。これは名言というより彼女の本音が表れた瞬間だったかもしれない。
リオ五輪にキャプテンとして挑んだ彼女は「2周目の卓球人生」と語ったように、前を向いてひたすら進んできたロンドン五輪までとは異なり、若い選手たちを引っ張る立場となっていた。
そして迎えた団体戦での3位決定戦、福原が第1試合を落としたものの、その後の勝利で銅メダルを獲得。試合終了後に泣き出してしまった福原が、一息ついて石川にホッとした表情で話しかけた一言が、
「夢じゃないよね?もう1回とか嫌だよ」
だった。
天才卓球少女としてわずか4歳から注目を集め、ロンドン五輪では団体メダルを獲得、キャプテンとして挑んだ今大会のプレッシャーは相当なものだったのだろう。彼女の泣き顔と笑顔に、素直におめでとうと伝えたい瞬間だった。
まとめ
世界のトップとして想像もできないようなプレッシャーと闘うアスリートたちによる名言は、やはり心に染みるものばかり。
人生に迷いが生じた時や落ち込んだ時に、勇気づけてくれる言葉たちだ。
そんな名言の中から、卓球選手によるものを紹介させていただいた。