横綱在位21場所で15日間フル出場はわずか8場所
大相撲の横綱・照ノ富士(33=伊勢ケ浜)の現役引退が発表された。2場所連続全休明けで臨んだ今場所も早々に2敗して5日目から休場。その翌日の引退発表だった。
潔い引き際のように映るが、体はボロボロだったのだろう。2021年7月場所後に横綱昇進してから在位21場所で15日間フル出場したのは8場所しかない。
両膝には分厚いサポーターが巻かれ、持病の糖尿病にも苦しんだ。横綱通算114勝40敗151休。白星よりも多い休みの数は、痛みに耐えながら横綱としての責任を全うしようともがき苦しんだ男の生き様を表している。
序二段まで陥落も見事に復活
モンゴル出身の照ノ富士は、17歳だった2009年3月に角界入りを目指して鳥取城北高校編入のため来日。2010年に間垣部屋に入門し、2011年5月の技量審査場所で初土俵を踏んだ。
出世の階段を急ぎ足で上りながら、2013年に間垣部屋が閉鎖されたため伊勢ヶ濱部屋に移籍。同年9月場所で新十両としていきなり優勝すると、2014年3月場所で新入幕を果たした。
さらに東関脇で迎えた2015年5月場所は12勝3敗で初優勝し、大関に昇進。身長192センチの立派な体格と闘志あふれる取り口で「未来の横綱」への期待は高まる一方だった。
しかし、ケガが未完の大器を襲う。2017年9月場所に1勝5敗9休と負け越して大関から陥落すると、その後も体は万全に戻らず番付は西序二段48枚目まで落ちた。
引退を申し出たものの師匠の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)に止められて翻意。見事な復活を遂げ、今度は横綱まで上り詰めた。
年寄・照ノ富士として後進を指導
ジェットコースターのような浮き沈みの激しい相撲人生が、照ノ富士の人格形成にも大きな影響を与えたことは間違いない。挫折を知らないまま昇進した横綱よりも、耐えた苦難と乗り越えた壁の数だけ引退後の人生は豊かになる。
照ノ富士は年寄名跡を取得しておらず、年寄・照ノ富士を襲名。横綱は引退後5年間は四股名のまま親方として活動できるため、今後は伊勢ケ浜部屋付き親方として、後進の指導にあたるという。
栄光と挫折を知る照ノ富士親方はいい指導者になるだろう。通算523勝、幕内優勝10回。角界を引っ張った名横綱は常にケガと戦い、最後は潔く土俵を去った。
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