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「春の東邦」と言われた東邦高校野球部の歴史と戦績

2019 4/1 12:30hiiragi
甲子園,
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Photo by ⒸSPAIA

春の甲子園にはめっぽう強く“春の東邦”と呼ばれる愛知県の名門・東邦高校。2年連続出場となった2019年センバツでは準決勝進出を決めた。ここでは東邦高校野球部の歴史や甲子園での成績、卒業生などについて紹介する。

春の東邦と言われる訳は、出場回数と優勝回数

東邦高校は名古屋市にある私立高校。設立は1923年(大正12年)、野球部は1930年に作られた。甲子園初出場は春が1934年の第11回大会、夏が1939年の第25回大会だった。以降春が30回、夏が17回と合わせて47回を数える。

特に春の成績が素晴らしく、1934年の初出場初優勝をはじめ、1939年、1941年、1989年と4回優勝に輝いた。また、初出場から3回目の優勝までは、8年連続で出場し、優勝3回のほかにも準優勝1回、ベスト4が3回、ベスト8が1回と常に上位進出しており、初戦敗退は1度もない。

春夏連続出場も、春はベスト8、夏は初戦で敗退

1973年には春が15回目、夏は7回目と、春夏連続出場を果たす。この時の捕手が、後に読売ジャイアンツで活躍する山倉和博選手だった。

センバツ1回戦では佐賀県の唐津商に3-1、2回戦では山倉選手のホームランも出て兵庫県の報徳学園に4-3で勝利しベスト8入り。横浜との準々決勝では1回2点、2回1点と序盤に失点し、そのまま0-3で敗れた。夏の選手権大会では初戦で高知商業に3-5と敗れ姿を消した。

山倉選手はその後、早稲田大学からドラフト1位で読売ジャイアンツに入団し、正捕手として活躍した。

平成最初のセンバツで48年ぶり4度目V

1941年の優勝以降、春の甲子園に出場はするものの優勝から遠ざかっていたが、2年連続20回目の出場となった1989年第61回大会、平成最初のセンバツでは48年ぶりの優勝を果たした。

前年の準優勝で自信をつけて臨んだこの大会は、エース山田喜久夫投手の力投で、1回戦、2回戦は完封で勝ち進む。準々決勝では大阪の近大付に延長10回サヨナラ勝ち、準決勝で京都西に4-2で勝利すると、決勝では後に読売ジャイアンツで活躍する元木大介選手が注目を集めていた大阪の上宮と激突した。

投手戦となった決勝は1-1のまま延長戦に入り、10回表に1点を取られてこれまでかと思ったその裏ツーアウトから奇跡が起こった。四球と内野安打で一、二塁とし、次打者のセンター前ヒットで二塁ランナーが生還して同点。さらに二、三塁間に挟まれたランナーの挟殺プレーを焦った上宮内野陣が悪送球を犯し、カバーに入った右翼手までが後逸、ボールが外野を転々とする間にランナーが生還、劇的な逆転サヨナラ勝利を収めた。ホーム付近で喜ぶ東邦ナインとグラウンドにうずくまる元木選手のコントラストがあまりにもドラマチックで、今でも名勝負と語り継がれる決勝戦だった。

夏に頑張ったバンビこと坂本佳一投手

「春の東邦」はいまだ夏の頂点には立っていないが、深紅の優勝旗に最も近づいたのが1977年の第59回大会だ。4年ぶり8回目の出場を果たしたこの夏、話題をさらったのが「バンビ」の愛称で親しまれた1年生エース坂本佳一投手だった。

東洋大姫路との決勝は投手戦となり1-1のまま延長に突入。10回裏に3ランを喫し、サヨナラ負けで準優勝に終わったが、細身の体からひたむきに投げる姿が共感を呼んだ。

春夏連続出場の2016年、夏の大会は猛打爆発で3回戦進出

2016年は春夏連続出場を果たした。11年ぶり28回目となったセンバツでは1回戦で関東一高に6-0で勝利するものの、2回戦で明石商に0-3で敗退。2年ぶり17回目の出場となった夏の選手権では、1回戦の北陸戦で猛打が爆発する。現在は中日ドラゴンズで活躍する藤嶋健人選手の1ホーマー、3塁打1本、2塁打2本の大爆発で19-9で勝利した。

2回戦の八戸学院光星戦では9回裏に4点差をひっくり返す猛攻を見せ、10-9で逆転サヨナラ勝ち。甲子園のスタンドが一体になって東邦を後押しするという現象が起こり、話題になった。3回戦では聖光学院に2-5で敗れたが、強い印象を残した大会だった。

平成最後のセンバツで5度目の頂点へあと2勝

平成最後のセンバツとなった第91回大会。1回戦で21世紀枠の富岡西に3-1、2回戦で広島の名門・広陵を12-2で下すと、準々決勝では初出場の筑陽学園に7-2で完勝した。準決勝の相手は明石商。平成最初のセンバツを制した東邦が、平成最後の大会でも優勝するか。30年ぶりの頂点まであと2勝だ。

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