東北福祉大から11三振を奪い完封勝利
鮮烈過ぎる全国デビューだった。6月に行われた第71回全日本大学野球選手権大会1回戦。名門でならす東北福祉大学(仙台六大学)を相手に、1年生がわずか4安打、11三振を奪い、1点はおろか、三塁すら踏ませない快投を演じたのである。
その1年生の名は、九州共立大学(福岡六大学)の稲川竜汰。つい3カ月前まで折尾愛真で高校生だった右腕が、最速148キロの直球を軸に2-0完封、チームを大瀬良大地(現広島)らが活躍した2012年以来の春1勝に導いた。
「正直こんな結果を出せるとは思ってなかったので、自分自身ビックリしているのが一番です。自分自身、初の全国大会だったし、悔いのないよう、思い切り楽しんでいこうと思って臨んでいました」
春のリーグ戦4勝0敗、防御率0.62で王座奪還に貢献
福岡六大学春季リーグで長らく続いた九州産業大学の牙城を崩したのも稲川だった。最終週で迎えたライバルとの大一番。1勝すれば優勝が決まる圧倒的有利な立場ながら、第1戦を3-5で落としてしまう。
勝った方が優勝となる運命の第2戦、重圧のかかる先発マウンドに上がった稲川は、1年生とは思えない圧巻の投球を披露。終わってみれば7-0の7回コールド、完封勝利で10年ぶりとなる春の王座奪還に貢献した。
通算5試合に登板して4勝0敗、防御率0.62。福岡工業大学戦で2点を失って以降は26回連続無失点、東北福祉大学戦も含めると、35回連続で失点を許さない圧巻の投球内容でデビューシーズンを終えた。
左足首のボルトが取り除かれ、本来の投球スタイルが復活
ようやく自分本来の投球ができることに喜びを感じている。山口県の灘中では硬式の岩国ヤングホープスに所属し、2年時に捕手から投手へ転向。2018年夏に甲子園初出場を果たした福岡の折尾愛真から誘いを受け、2019年春に関門海峡を渡る決意をした。
2年の夏前には最速145キロをマークする本格派右腕へと成長したが、新チームとなった秋の大会前の練習中、ベースランニングの際に左足首を捻り骨折。手術を余儀なくされた。稲川はここから先、左足首にボルトが入ったまま高校野球生活を送ることになる。
「(負傷箇所が)左足首ということで、いい感じに踏み込めなくて、自分の本調子に戻らないまま(3年の)夏の大会までいった感じです。どうしても踏み込んで、投げ終わった後にずれるっていうかしっかり踏み込めない。違和感はずっとありました」
迎えた3年の夏。球速も142キロまでしか戻らず、5回戦で西日本短大付に敗退。プロ志望届を提出したが、視察に訪れていた10球団から指名がかかることはなかった。「(折尾愛真)高校からも近いですし、自分が調子とか悪くなった時に、高校の先生に聞いたりできると思ったので」と、同じ北九州市八幡西区内にある九州共立大学への進学を決めた。
1年以上も左足首に埋め込まれたボルトは、高校野球引退後の昨年11月、再手術の末にようやく取り除かれた。傷口も癒え、年が明けた2022年1月頃からようやく本来の走り込みが再開できた。それまでは「走りすぎたら痛くなっていた」ため、練習量もセーブしなければならなかったが、その必要はなくなり、高校2年時の感覚が戻ってきた。
「しっかり走り込んだり、ウエイトとかもやって、(左足の)踏み込みも全然違和感なくて、球筋も全然違いました。よくなったな、というのは凄く感じました」
稲川を高校1年時からリストアップしていた上原忠監督は、入寮後にキャッチボールを行う姿を見て「雰囲気を感じた」として、1年春からのデビューを決断した。
術後の不安もあったが、リーグ戦前には最速148キロをマーク。大舞台でも動じないマウンド裁きに、梁瀬慶次郎主将(3年)も「高校を卒業してまだ月日も経ってないのに、あの落ち着き具合は頼もしい。ほかのピッチャーにないものを持っている」と舌を巻く。
目標の春秋リーグ連覇、そして神宮で「日本一を獲れるように頑張りたい」
まだ1年生。稲川にとって、今春の活躍は通過点に過ぎない。まずは、他大学のマークが厳しくなる秋のリーグ戦を制し、九州大学野球選手権大会を勝ち抜いて再び神宮の舞台に戻ることが目標だ。
「春の全国大会は2回戦で負けたので、次はそれを越えられるように、最終的には日本一を獲れるように頑張りたいです」
リーグ戦通算38勝5敗、防御率1.07 と驚異的な成績を残した大瀬良先輩のような絶対的エースに。そして3年後。高校時代に名前を呼ばれることのなかったドラフトの目玉へ-。スケールの大きな右腕から目が離せない。
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