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Jリーグクラブ、ロアッソ熊本の監督・社長を歴任した池谷友良(いけやともよし)氏を父に持つ池谷友喜(いけやゆうき)選手は、幼い頃から二世選手として扱われることに不満を感じていた。しかし、常に自分の「羅針盤」となっている父の存在の大きさを実感。その助言を素直に受け止めるようになり、人間として、サッカー選手としての視野が広がった。そんな彼が、そのサッカー人生とこれからの「選択」について語った。
Jリーグクラブ、ロアッソ熊本の監督・社長を歴任した池谷友良(いけやともよし)氏を父に持つ池谷友喜(いけやゆうき)選手は、幼い頃から二世選手として扱われることに不満を感じていた。しかし、常に自分の「羅針盤」となっている父の存在の大きさを実感。その助言を素直に受け止めるようになり、人間として、サッカー選手としての視野が広がった。そんな彼が、そのサッカー人生とこれからの「選択」について語った。
「父親が監督だったからサッカーをやっているの?」とよく聞かれるのですが、それは少し違います。父が僕に「サッカーをやれ」と言ったことは一度もない。そもそも小学3年生までは野球少年。イチロー選手が好きだからマリナーズの試合を観たり、日本ならジャイアンツを応援していました。でもやっぱり、どこかで影響を受けているんでしょうね。僕も弟も最終的にはサッカーを選んでいます。
野球少年時代の写真。足が速く、クラスメートからも一目置かれていた
小学5年生の頃に熊本に引っ越し、中学生になってからはロアッソ熊本の下部組織でずっとサッカーをしていたので、ずっと「池谷友良の息子」として扱われてきました。「池谷の息子だから試合に出してもらえる」、そう言われる時もあって、すごく嫌だった。「池谷友喜というひとりの人間を見てくれ!」という気持ちがその時からずっとあります。
中学生の頃から、いつかはプロにと思い始めました。でもこのままだとずっと親の七光りとして扱われる。そうした反発から熊本を離れようと思ったこともありました。
その時に父から「お前が好きなことをしたらいい。でも俺はお前の成長を近くで見ていきたい」と言われた言葉が、胸にこう、ぐっときて。父がそんなことを言うなんて初めてだったんですよ。でもその言葉が僕はうれしくて、高校卒業までロアッソのユースでプレーしました。
度重なる怪我に悩んだ時「失敗とは転ぶことではなく起き上がらないことだ」という父親からかけられた言葉が今も彼を支える
いつかはトップチームに入りたいという想いもその時から強くなりました。父親は決して意見を押し付けることはしないけど、僕の考えを聞きながら正しい方向に導いてくれるような存在ですね。