ジーニアス
サッカー選手の中にはファンやチームメートから特別な名前で呼ばれる選手・監督がいる。そこには彼らの特徴であったり性格、過去の経歴など様々な由来がある。そんなニックネームから選手・監督を紐解いていく。
かつてスポーツライター金子達仁が「ジーニアス(天才)」と称し、その才能を大絶賛した柿谷曜一朗。わずか16歳でプロ契約を結び、FIFA U-17W杯でも大活躍し、すぐに日本を代表するFWになるだろうと、当時期待を集めた。
しかし、2008年頃から同世代でチームメイトだった香川真司が存在感を増していく中、その輝きは薄れていく。2009年になると練習への遅刻を繰り返すようになり、ヴォルティス徳島へ期限付きながらも放出されてしまう。監督として同時に2人を指導したレヴィー・クルピは、彼ら2人の才能を共に高く評価しながらも、違いは「責任感」だと公の場で指摘した。
そんな柿谷だったが、徳島の美濃部直彦監督との出会いが選手人生を大きく変えることとなる。クルピ氏同様、柿谷に底知れぬ才能を見た美濃部氏は柿谷との対話を幾度となく繰り返し、その大器に欠けているものを埋めていった。チームメートと同じアパートに住むことで遅刻癖も改善。結果、柿谷は精神的な成長を遂げ、3年目には副将として最後までJ1昇格を掛け戦い抜いた。
「責任感」を身に着けた柿谷がセレッソ大阪に復帰したのが2012年。翌年にはセレッソのエースナンバー「8」を背負い、日本代表にも選出。海外移籍も果たした。
2016年に再びセレッソ大阪に復帰すると、J2に降格していたチームのJ1昇格に貢献。キャプテンとなった柿谷はカップ戦2冠を達成するなど、チームを牽引する活躍をみせた。しかしポジションはサイドと、その力を全て発揮していた訳では無かった。
今季、再びFWへとポジションを移した柿谷は、本来の才能を見せ始めている。
衝撃的なゴールを決めたのが第13節のV・ファーレン長崎戦だ。対峙した高杉が思わず倒れ込んでしまうほどの華麗なドリブルから、冷静にゴールへとボールを流し込んだプレーは正に天才と呼ぶにふさわしい。
プロとして欠けていたピースを埋め、本来の戦場に戻った「ジーニアス」がどこまで行くのか目が離せない。