川崎フロンターレが柏レイソルとの死闘制し2度目の優勝
サッカーの第103回天皇杯決勝が12月9日に国立競技場で行われ、2023年のJ1リーグ8位だった川崎フロンターレが同17位の柏レイソルを破って3大会ぶり2度目の優勝を果たした。
6万2837人の大観衆が詰めかけた国立で両チームが死闘を展開。延長でも0-0のまま決着がつかず、PK戦は10人目までもつれ込んだ末、最後は柏GK松本健太のPKを川崎FのGKチョン・ソンリョンが止めて激闘に終止符を打った。
両者の対戦は2023年5月28日の第15節で川崎Fがホームで2-0と快勝。10月29日の第31節は柏のホームで1-1のドローだった。
さらにさかのぼると、2022年は川崎Fの1勝1分け、2021年も川崎Fの1勝1分け、2020年は川崎Fの2勝、2018年も川崎Fの2勝、2017年10月29日のJ1リーグ第31節は2-2のドローと、試合前の段階で川崎Fが11試合負け知らずとなっており、終わって見ればデータ通りの決着。
2017年10月25日の天皇杯準々決勝以来、川崎Fに勝っていなかった柏は、日立製作所時代を含めて4度目の優勝を狙ったが惜しくも届かなかった。
東京蹴球団からヴァンフォーレ甲府まで
「ア式蹴球全國優勝競技會」として天皇杯が始まったのは1921年。原敬首相が東京駅で刺殺され、大正デモクラシーが巻き起こった時代だ。
第1回の優勝チームは東京蹴球団。現在も東京都社会人1部リーグに所属する日本最古のクラブチームが初代王者に輝いた。
戦後しばらくまでは学生チームやクラブチームが優勝していたが、1960年代から企業チームが台頭。1965年から日本サッカーリーグが始まり、東洋工業(後のサンフレッチェ広島)が優勝した。リーグ戦の創設が1968年メキシコ五輪の銅メダルにつながっていく過程は、Jリーグ創設がワールドカップ初出場につながっていく過程とそっくりだ。
そんな中、柏レイソルの前身・日立製作所は1972年と1975年に天皇杯制覇。ほかにも古河電工(後のジェフユナイテッド市原・千葉)や三菱重工(後の浦和レッズ)、ヤンマー(後のセレッソ大阪)などが優勝チームに名を連ねた。
1980年代に入ると、日産自動車(後の横浜F・マリノス)、読売クラブ(後の東京ヴェルディ)、松下電器(後のガンバ大阪)などが優勝。Jリーグ創設前で、木村和司ら一部の選手だけが事実上のプロ契約をしていた。
Jリーグ開幕前年の1992年には日産FC横浜マリノスが読売ヴェルディを下して優勝。93年以降はJリーグクラブが優勝している。
第78回大会(1998年度)では消滅が決まっていた横浜フリューゲルスが優勝。前回の第102回大会はJ2リーグ18位だったヴァンフォーレ甲府が制し、日本中を沸かせた。
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