1990年代は6勝6敗、エムボマと黄善洪が得点王
国の内外を問わず、サッカーで最も盛り上がる試合のひとつがダービーマッチだ。同じホームタウンを二分するライバルチーム同士の戦いはいつも白熱する。
2023年のJ1リーグでは、5月3日にガンバ大阪とセレッソ大阪の「大阪ダービー」がガンバのホーム、パナソニックスタジアム吹田で行われる。
日本リーグ時代に多くのタイトルを獲得した名門・ヤンマーの系譜を受け継ぐセレッソと、松下電器からJリーグ創設時の「オリジナル10」に名を連ねたガンバ。セレッソがJリーグに参入した1995年から数多の名勝負を繰り広げてきた。
1995年はファーストステージとセカンドステージで各2試合が組まれ仲良く2勝ずつ。以降、1996年と1997年はガンバが4勝、逆に1998年と1999年はセレッソが4勝し、1990年代は6勝6敗の五分だった。
97年はガンバに加入した「浪速の黒豹」パトリック・エムボマが得点王に輝き、稲本潤一が当時の最年少記録となる17歳171日でJリーグ公式戦に初出場。セレッソは99年に黄善洪が得点王に輝き、森島寛晃や西澤明訓と強力な攻撃陣を形成した。ただ、この頃は観客動員数も今に比べると少なかった。
2000年代はガンバの10勝2敗、初優勝も!
2000年代はガンバが圧倒した。セレッソがJ2落ちした年もあり、計12回の対戦でガンバの10勝2敗。しかも2004年10月2日の7-1や、2006年3月12日の6-1など大差の試合もあった。
Jリーグの頂点に先に手が届きかけたのはセレッソだった。2000年のファーストステージ、副島博志監督率いるセレッソは最終節を前に首位に立ったが、勝てば優勝の川崎フロンターレ戦でまさかのVゴール負け。ホーム・長居で悲劇的な幕切れだった。
一方のガンバは西野朗監督が就任した2002年に過去最高の年間3位に躍進。2005年には大黒将志やこの年得点王となるアラウージョ、フェルナンジーニョらの攻撃陣が機能し、最終節で見事な逆転優勝を飾った。最終節では5チームに優勝の可能性がある大混戦で、そのうちの1チームがセレッソだった。
その後も西野体制で毎年のように優勝争いを繰り広げたガンバに対し、セレッソは2006年に17位となりJ2降格。大久保嘉人、西澤明訓、名波浩らがチームを去り、2007年から3年間はJ2で戦った。
2010年代にはガンバが3冠、セレッソは2冠達成
2010年代は14回戦ってガンバの7勝2敗5分け。しかし、2000年代より接戦が多く、両チームの力が均衡してきたと言える。観客動員数も1990年代に比べると飛躍的に伸びた。
2011年限りで西野朗監督が退任したガンバは、長谷川健太監督が就任した2013年をJ2で戦ったが、1年でJ1に復帰すると、2014年に驚異的な強さを見せる。まずナビスコカップで2度目の優勝を飾り1冠。ブラジルワールドカップの中断後に覚醒した宇佐美貴史の大活躍で2度目のリーグ優勝を飾り2冠。さらに天皇杯も制し、2000年の鹿島以来となる国内3冠を達成した。
セレッソは2015年から2年間J2で戦い、尹晶煥監督が就任した2017年に3年ぶりのJ1で旋風を巻き起こす。22得点を挙げた杉本健勇の活躍などでリーグ戦は3位。また、ルヴァンカップと天皇杯で優勝し、2冠を達成した。
2020年代はガンバが低迷、セレッソの4勝2分け
2020年には新型コロナウィルスの感染が拡大し、無観客試合で行われるなどサッカー界にも大きな影響があった。2020年代に入ってからガンバ大阪が低迷し、セレッソが4勝2分けと圧倒している。
2020年のガンバはリーグ戦2位、天皇杯も準優勝だったが、10月に長年チームを引っ張ってきた遠藤保仁がジュビロ磐田へ移籍。翌2021年は宮本恒靖監督が解任され、松波正信監督が指揮を執ったものの13位に終わった。
セレッソは2020年7月4日の大阪ダービーでリーグ戦では17年ぶりのアウェイ勝利。2021年には柿谷曜一朗が名古屋グランパスへ移籍したが、ルヴァンカップで準優勝した。2022年はシーズン中に乾貴士が契約解除され世間を騒がせたものの、大阪ダービーには連勝した。
各年代でドラマを繰り広げたきた両雄。リーグ戦の通算成績はガンバが23勝14敗7分けと勝ち越している。今後はどんなドラマが待っているだろうか。サッカー史に残る熱い戦いが期待される。
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