最後列に構える背番号1番
サッカーにおける背番号1番といえば、誰しもが思い浮かべるのがゴールキーパーだ。
これは、1800年代にサッカー選手が背番号をつける事になった際に、最後尾から順に番号をつけていったことから、チームの最後方にいるゴールキーパーは背番号1番を与えられた為である。
この時もし、最前列から番号をつける事になっていれば、ゴールキーパーの番号は11番となっていただろう。
その後サッカーが進化していく過程で、フォーメーションが変化していき、他の多くのポジションでは国や地域によって背番号で表すポジションが異なっていくのだが、ピッチ上で唯一ボールを手で扱うことができるゴールキーパーにはポジションの変化がまったくなく、常に背番号1番であり続けた。
Jリーグではゴールキーパーのみがつける事ができる背番号1
Jリーグではゴールキーパー以外の選手が背番号1番を背負う事が出来ないのをご存知だろうか。
さらにいうと、ゴールキーパーは2番から11番の番号をつける事も出来ない。
10番のゴールキーパーは誕生しないのだ。
これはJリーグの大会規定、ユニフォーム要項の第6条(3)で
選手番号は、0は不可とし、1をゴールキーパー、2~11をフィールドプレーヤーとする。12以降はポジションと無関係とし、50までは欠番を認める。ただし、51からは連番で番号をつけることとし、欠番は認めない。
出典:
Jリーグ公式 Jリーグ規約・規程集 2017 ユニフォーム要項
と定められている。
これにより2017年にJ1で戦う18チームは、横浜F・マリノスだけが背番号1番を欠番としているが、他17チームは全てゴールキーパーが背番号1をつけている。
正ゴールキーパーの背番号
サッカーで1番から11番までの番号はレギュラー番号と呼ばれる事もあり、通常ならゴールキーパーがつける事ができる最も小さい番号1番は、チームの正ゴールキーパーがつける事になるのだが、近年は正ゴールキーパーが1番以外をつけている事も多い。
2017年8月21日現在で、J1に所属する18チームの、チーム内でリーグ戦の試合出場数が多いゴールキーパーの番号を調べてみると、
北海道コンサドーレ札幌:ク・ソンユン選手 25番
ベガルタ仙台:シュミット・ダニエル選手 1番
鹿島アントラーズ:クォン・スンテ選手 1番
浦和レッズ:西川周作選手 1番
大宮アルディージャ:加藤順大選手 1番
柏レイソル:中村航輔選手 23番
FC東京:林彰洋選手 33番
川崎フロンターレ:チョン・ソンリョン 1番
横浜F・マリノス:飯倉大樹選手 21番
ヴァンフォーレ甲府:岡大生選手 23番
アルビレックス新潟:大谷幸輝選手 1番
清水エスパルス:六反勇治選手 13番
ジュビロ磐田:カミンスキー選手 21番
ガンバ大阪:東口順昭選手 1番
セレッソ大阪:キム・ジンヒョン選手 21番
ヴィッセル神戸:キム・スンギュ選手 18番
サンフレッチェ広島:林卓人選手 1番
サガン鳥栖:権田修一選手 33番
となり、1番をつける正ゴールキーパーがいるのは半分以下の8チーム。10チームが12番以上の背番号をつけている。
これは背番号が選手を表すものとなった昨今、「過去の名ゴールキーパーがつけてきた1番ではなく、違う番号を自分の番号としたい」という希望や、新加入時などレギュラーとなる前につけた番号に愛着が湧き、レギュラーとなってからもその番号を使い続けている、といった面があるだろう。その為、生え抜き選手などの在籍歴が長い選手に比べ、移籍加入した選手の方がレギュラーナンバー1番をつけているという傾向にある。
変わった背番号をつけたゴールキーパー
Jリーグでゴールキーパーの背番号に関する規定は、多くの国のリーグでも取り入れられている。
そんな中、主要国の中でその規定を持っていないのはイタリアで、イタリア・セリエAでは背番号が1番から99番までの間であればどの番号でも自由につけることができる。
その為、セリエAではちょっとめずらしいゴールキーパーも存在している。その中の1人が2008年北京オリンピックのイタリア代表正ゴールキーパーで、タリア代表のキャリアを持つサンプドリア所属のエミリアーノ・ヴィヴィアーノ選手だ。
クラブ内でのイヴィヴィアーノ選手の背番号は2だ。つまり、サンプドリアの守護神は背番号2番をつけていることになる。
またクロトーネの控えゴールキーパーのマルコ・フェスタは背番号3番をつけている。
2002-03シーズン当時にキエーボ・ベローナに所属していたクリスティアーノ・ルパテッリ氏は、ゴールキーパーでありながら背番号10番をつけたため話題となった。
2016-17シーズンに同じくキエーボ・ベローナでプレーしたジョナサン・デ・グズマン選手は、セントラル・ミッドフィールダーで背番号1番をつけてプレー。その後、2017-18シーズンはドイツのアイントラハト・フランクフルトへと移籍し、長谷部誠選手や鎌田大地選手のチームメイトとなり背番号6番となった。
ワールドカップでの背番号事情
現在では大会規定により認められていないが、以前はFIFAワールドカップでも背番号は1番から22番を自由に割り振っても良いという規定になっていたので、ワールドカップでも変わった番号をつけてプレーした選手がいる。
代表的な例はアルゼンチン代表。当時のサッカー界では背番号といえば選手を象徴するものというよりも、ポジションを表すものという考え方の方が主流であったため、予め登録メンバー全員に背番号を割り振る必要があるワールドカップでは、アルゼンチン代表は名前をアルファベット順に並べ、1から順番に番号をつけていた。
1978年のワールドカップでアルゼンチン代表の1番は攻撃的ミッドフィールダーのノルベルト・アロンソ氏だった。1982年の大会では、その前の大会で2番をつけており、同じく攻撃的ミッドフィールダーのオズワルド・アルディレス氏が1番に繰り上げられてプレーしている。
アルファベット順の風習は様々な国でも行われており、イタリア代表ではゴールキーパーに予め1番12番22番などを割り振ったが1994年大会まではポジション順、アルファベット順に選手を並べ2番から順に背番号を決めていた。1994年ワールドカップアメリカ大会までのイタリア代表は、ディフェンダー全員が一桁番号で、フォワードは20番前後の番号をつけていた。しかしこの1994年の大会でロベルト・バッジョ氏には10番、フランコ・バレージ氏には6番と、2人の番号だけ特別に与えたことをきっかけに、1996年のヨーロッパ選手権からはアルファベット順を止めている。