生徒の100%近くが大学に進学するなかで、運動部の活動も盛ん
松山北高校は愛媛県松山市にあり、校舎がある文京町は愛媛大学や松山大学などがある文教地区にあります。1900年に私立北予中学校として開校され、1949年に県立となり現在の校名に改称されました。生徒の100%近くが大学に進学し、約6割が国公立大学に進むという学力上位校です。
一方、運動部の活動にも学校として力を注いでおり、各部とも毎年ライバル校と全国大会出場を懸けて熱戦を展開しています。1947年創部のサッカー部は松山工業高校や新田高校がライバルで、2017年度、2年連続の全国大会出場が成るかが注目されています。
2008年度の46年ぶり全国大会出場を契機に実力が復活
松山北高校が初めて全国高等学校サッカー選手権に出場したのは1962年度に行われた第41回大会です。この時は1回戦で勝利しましたが、2回戦ではこの年優勝した藤枝東校に0対6と大敗しました。その後、松山北校は低迷を続け、県大会でも目立った活躍はありませんでした。
しかし、2008年度に何と46年ぶりで県代表となって出場。続く2009年度にも2年連続で出場し、2014年度にも4度目の代表となりました。そして2016年度に5度目の出場を果たしました。ここ8年間で4回の県代表になり、県内強豪校の仲間入りをしています。
渡部監督はサッカー部伝統の「美攻賢守」で熱く指導
松山北高校サッカー部の指導に当たっているのはOBの渡部晃久監督です。2012年に就任し、3年目の2014年度に悲願の全国大会出場を果たしました。松山北高校サッカーの伝統は「美攻賢守」です。文字通り美しく攻めて賢く守る、というのがモットーです。
具体的な戦法としては、細かいパス回しなどを多用して効率よく攻め、そして頭を使って守ることです。渡部監督も伝統を重視し、個々の能力に頼るのでは無く組織で勝ち抜くサッカーを目指しています。
2016年度は5度目の全国切符を掴んだ最高の年に
松山北高校サッカー部の2016年を振り返ってみましょう。新人戦では県3位という成績で、高校総体の県予選ではライバルの松山工業高校にPK戦で敗れました。
しかし、目標としていた全国高等学校サッカー選手権の県予選では2回戦で新田高校に2対0で勝ち、準々決勝では強豪の今治工業高校に4対0と大勝。準決勝で帝京五校を2対1で下すと、決勝では松山工業高校と延長戦までもつれる激闘の末、4対2で勝利。高校総体敗戦のリベンジを果たすと共に、5度目の全国切符をつかみ取りました。
2017年、目指すは2年連続の全国高等学校サッカー選手権出場
2017年1月東京で行われた全国高等学校サッカー選手権には、松山北チームを応援する生徒や後援会などのメンバー250人が応援団に駆けつけましたが、初戦で岩手県の遠野高校に0対2で敗戦。全国大会1勝への道は遠かったという結果でした。
それでも愛媛県内での戦いを振り返ると、公式戦8大会でベスト4以上が7回で、優勝3回、準優勝1回という最高の年となりました。今年のチームには2年生ながら才能ある三宅克紀選手ら精鋭が揃っており、全国大会への連続出場を目指しています。
まとめ
国立大学に生徒の6割りが進むという県内有数の進学校でありながら、ここ数年サッカー部がメキメキ力を付けている松山北校について紹介しました。2017年度、全国高等学校サッカー選手権に出場となれば2年連続の快挙が達成されます。