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ソチ五輪で銀メダル!スノーボードアルペン・竹内智香の功績

2017 1/30 21:29
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Ⓒゲッティイメージズ

竹内智香と言えば日本女子スノーボードアルペンの第一人者であり、ソチ五輪・パラレル大回転の銀メダリストだ。竹内の生い立ちから競技を始めたきっかけ、試合での功績などさまざまな角度から紹介する。

竹内智香の生い立ちは?

竹内智香は1983年12月21日生まれで北海道旭川市出身。3人兄妹で兄が2人いる。父親から、兄妹のうち1人はオリンピック選手になってほしい、と言われていたため幼い頃からオリンピックに強い興味を抱いており、小学校の卒業文集に「夢はオリンピック」と書くほどだった。

実家は北海道大雪山の麓にある旭川温泉で「湧駒荘(ゆこまんそう)」という旅館を経営しており、夏期にはなんと竹内が仲居として手伝うこともあるという。

スノーボードを始めたきっかけは?

竹内の父はかつて乗馬でオリンピックを目指していたことがあり、彼女も小さいころから自分もオリンピックに出たいと思っていた。小学校低学年の頃にはアルペンスキーに興味を持ったが、当時住んでいた場所では環境が整っていないためやらせてもらえなかった。

スノーボードは小学5年生の時に趣味で始め、中学2年の時に長野オリンピックでアルペン種目のスノーボードを見たことで「この種目でオリンピックに行く!」と心に決めた。

18歳でソルトレイクシティ五輪に初出場

本格的にスノーボード競技を始めた竹内は、中学卒業後、当時は珍しいスノーボード部のある北海道上川高等学校に進学。ところが彼女を指導していた先生が転勤となったため、彼女も後を追ってクラーク記念国際高校に転校した。

在学中にどんどん実力を伸ばしていった竹内は16歳で全日本チャンピオンになり、2002年のソルトレイクシティオリンピックに18歳で初出場した。そして2003-04年シーズンからはワールドカップにも参戦し始める。

竹内の練習拠点は?

竹内は2006年に開催されたトリノオリンピック後、海外での練習を希望し、スイスナショナルチームに参加を許されたため、23歳から28歳までスイスに活動拠点を置いた。

しかし、2010年バンクーバーオリンピックでは初戦敗退。そんな迷いの時期、スタドラーコーチの「自分の国をリスペクトし、日本チームで応援されるプレッシャーや責任を感じるんだ」という言葉を胸に帰国を決意する。その後は日本に拠点を据え、充実した練習環境でトレーニングを続けた。

竹内智香の功績と引退後の夢は?

竹内の最も輝かしい功績と言えば、2014年ソチオリンピックでのパラレル大回転・銀メダルだ。予選を1位で通過し、2人1組で対戦する決勝トーナメントでも安定した滑りで着々と勝ち進んだ。決勝ではゴール目前で惜しくも転倒したが、果敢で堂々としたその滑りは日本中に興奮と感動を与えた。

その他の成績としては、2012年のワールドカップで優勝、2015年世界選手権で銅メダルに輝いている。また竹内は海外選手と共同で「ブラックパール」というスノーボードブランドを立ち上げており、競技引退後はこのブランド展開にも意欲を示している。

竹内は幼い頃からはっきりとした目的意識を持ち、紆余曲折もありながらオリンピックメダリストという夢を実現した強い女性というイメージ。彼女は現在も2018年の平昌オリンピックに向けて練習を続けている。次回も彼女の活躍を期待したい。