ハードトレで地力つけたエディージャパン
日本ラグビー界にとどまらず、世界のスポーツシーンの中でも歴史的な1ページとなったのが平成27年のワールドカップ・南アフリカ戦。終了間際の逆転トライで世界を震撼させた。
それまで国内の大学ラグビーは冬の花形スポーツとして人気があったものの、世界との差は大きかった。日本代表は昭和62年の第1回ワールドカップから毎回出場しているが、第2回大会のジンバブエ戦が唯一の白星で、通算1勝2分21敗だった。平成7年(1995)の第3回大会では控え主体のニュージーランドに17-145で記録的大敗を喫するなど、強豪国との差は歴然だった。
ジョン・カーワンの後を受けたエディー・ジョーンズが平成24年に日本代表ヘッドコーチに就任すると、合宿で1日3部練習などのハードトレーニングを課した。同年11月のルーマニア戦やジョージア戦にアウェーで勝利し、翌25年にはウェールズを下すなど、エディージャパンは着実に力をつけていった。
場内総立ち!終了間際の逆転トライ
平成27年の第8回ワールドカップ。日本の初戦は9月19日、イングランド南東部のブライトンで行われた。相手は過去2度のワールドカップ優勝経験を持ち、当時世界ランキング3位の南アフリカ共和国。日本は世界ランキング13位だった。
前半、五郎丸のPGで日本が先制。その後、リーチマイケルもトライを奪うが、南アに2トライを許し、前半は10-12で折り返した。
後半2分に五郎丸のPGで逆転し、一度はひっくり返されたものの、またしても五郎丸のPGで19-19の同点。その後も一進一退の攻防を繰り広げ、後半32分にポラードにPGを決められて29-32と3点ビハインドとなった。
終了直前、敵陣深くでPKのチャンスを得る。それまで5PGを決めていた五郎丸が決めれば同点だ。しかし、日本はあくまで逆転を狙い、スクラムを選択した。右サイドのラックからボールをつないで逆サイドに展開し、最後は大外のヘスケスが左隅に飛び込む。奇跡の逆転劇。駆け付けた日本人だけでなく、南アのファン以外は総立ちとなった。
地元メディアも大きく報道
世紀の大番狂わせは世界中のニュースになった。ガーディアン紙は「W杯史上、比類のない試合。世界に波紋を広げた」と報道。デーリー・テレグラフ紙は、電子版のトップで「史上最大の番狂わせ」と伝えるなど、英国メディアも異例の大きな扱いだった。
日本は2戦目のスコットランド戦に敗れ、3戦目のサモアと4戦目の米国に勝って3勝1敗としたものの、勝ち点で南アとスコットランドを下回ったため1次リーグ敗退となった。平成が終わり、次の時代に入った2019年9月には日本開催のワールドカップが始まる。次はどんな感動を与えてくれるだろうか。