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クレー射撃のルールや過去の五輪日本人メダリストは?

2019 12/1 11:00田村崇仁
クレー射撃の第一人者・中山由起枝Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

麻生元首相も五輪代表、東京は中山由起枝が5度目

空中に飛び出した皿の形をした標的を散弾銃で撃ち落とすクレー射撃は、元首相の麻生太郎副総理兼財務相が1976年モントリオール五輪に出場した種目としても知られている。国内の競技参加者は12万人ほどだが、芸能界でお笑いタレントのヒロミや加藤浩次ら愛好者も多く、幅広い世代や分野で競技に取り組んでおり、意外な人気ぶりが話題だ。

射撃は1896年の第1回アテネ五輪から実施されている伝統競技。世界の競技人口は約500万人といわれ、2016年リオデジャネイロ五輪は出場選手の最年少が16歳、最年長は56歳だった。

来年の東京五輪は陸上自衛隊朝霞訓練場で行われ、女子トラップで娘の子育てと競技を両立してきた40歳の第一人者、中山由起枝(日立建機)がこのほど5度目の五輪代表に決まった。元ソフトボール選手から高校卒業後にイタリア留学を経て転向した中山は「何歳でも挑戦できて命中した時の爽快感が競技の魅力。『静』と『動』の両立が求められ、精密な技術とメンタルの勝負でもある。代表に決まったアジア選手権は予選敗退の危機で1%の確率から逆転サヨナラ満塁ホームランを打った気分だった」と振り返った。

起源は狩猟、生きたハトを撃った競技

クレー射撃の起源は18世紀後半で、ヨーロッパの王族や貴族が狩猟を模してハトを放し、撃ち落としたものが始まりといわれている。競技が盛んになると標的となるハトが不足し、米国などでは批判的な意見もあったことから、代用品である素焼きの皿(クレー)を標的として競技化したものが原型とされる。歴史的な背景から鳩の絵柄が採用されているクレーもあるという。

標的が動くため、瞬時の判断力と鋭い洞察力、精密な動作が要求される。射場の地形や風向きで変化する進路を予測することも難しく、発射までの張り詰めた緊張感や命中した瞬間の爆発音と爽快感を味わえるのが観客にとっても醍醐味だろう。

銃を撃った時には爆発音と共に1トン近い衝撃が肩や体にかかるといわれており、選手は普段から体幹や下半身強化のトレーニングを徹底している。

2発以内の「トラップ」と1発勝負の「スキート」

クレー射撃は直径11センチの標的を狙い、撃ち落とした数によって得点を競う競技。大きく分けるとトラップとスキートの2種目がある。

トラップは射台の15メートル先からランダムに飛び出すクレー(皿)を撃つ種目。射撃を撃つ射手は銃を構えた状態でコールし、その声に機械が反応して、クレーが飛び出す。クレーは左右、高さがランダムに飛び出し、1ラウンド25枚の射撃。1枚のクレーに対し2発以内で撃破することができれば、得点となる。東京大会からは新種目で男女混合の混合トラップも追加された。

スキートはより複雑で2カ所の装置から1枚か2枚同時に発射されるクレーを撃つ種目。合計8カ所の射台を使って1ラウンド25回射撃し、トラップとは違って1枚のクレーに1発しか撃てない。

銃の価格は安いもので20~30万円ほど。サングラスは顔と銃の距離が近いため、安全上の理由で装着が義務付けられている。鉛の弾を飛ばすため火薬が入っており、銃の発砲音がとても大きいため、イヤーマフと呼ばれる耳栓も耳を守るために使用する。

ロス五輪で蒲池猛夫が初の金メダル

五輪での日本勢の歴史を振り返ってみよう。第1回の1896年アテネ五輪から実施競技の射撃は、固定された標的をライフル銃やピストルで狙って得点を競うライフル射撃と、散弾銃で撃ち落とすクレー射撃がある。

ライフルは1896年の第1回アテネ大会、クレーは1900年パリ大会で五輪に登場。日本勢はこれまで6個のメダルを獲得しており、1984年ロサンゼルス大会のライフル射撃男子ラピッドファイアピストルを48歳で制した蒲池猛夫が唯一の金メダリストだ。

1960年ローマ五輪男子フリーピストル銅メダルの吉川貴久が第1号メダルで、続く1964年東京五輪も3位だった。

1988年ソウル五輪の射撃女子スポーツピストルで銀メダルを獲得した福島実智子(当時長谷川智子)が銀メダルを獲得。1992年バルセロナ五輪で男子フリーライフル3姿勢の木場良平が銅メダル、クレー・トラップの渡辺和三が銀メダルに輝いた後、6大会連続で表彰台がない。

射撃日本人メダリストⒸSPAIA

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過去最も多くのメダルを獲得しているのは職業軍人の多い米国。近年は中国や韓国も台頭しており、2016年リオデジャネイロ五輪では欧州の王国イタリアが好成績を収めた。次の東京五輪で日本勢はどんな戦績を残せるか。中山は「競技人生の集大成。何色でもいいのでメダルを獲得したい」と意気込んでいる。