地方馬の星コスモバルク
昭和の時代にはオグリキャップやハイセイコーなど地方競馬場からデビューし、活躍した馬がいるが、平成の地方馬ナンバー1といえば、コスモバルクだろう。地方から日本ダービーを目指したコスモバルク、それに立ちはだかったキングカメハメハの日本ダービーを振り返っていきたい。
昭和の時代にはオグリキャップやハイセイコーなど地方競馬場からデビューし、活躍した馬がいるが、平成の地方馬ナンバー1といえば、コスモバルクだろう。地方から日本ダービーを目指したコスモバルク、それに立ちはだかったキングカメハメハの日本ダービーを振り返っていきたい。
コスモバルクは旭川競馬場でデビューする。初戦は2着に敗れたが、2戦目のアタックチャレンジで勝利。その後1着、2着と結果を出し、JRAに初挑戦する。初めての芝コースとなる百日草特別(500万下)を快勝。この時の2着がのちに日本ダービーで3着になるハイアーゲームを抑えての勝利だっただけに相手に恵まれたわけでもない。
その後、ラジオたんぱ杯2歳ステークスで逃げ切り勝ちをし、重賞制覇を成し遂げる。中央馬だと重賞1つ勝てば賞金的にだいたい日本ダービーまでは出られるが、地方所属馬はクラシック(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)に出るには、優先出走権を得ないと出られないルールがある。そのため、トライアルレースである弥生賞に出走し、逃げるメイショウボーラーをきっちり捉えて勝利。皐月賞への出走権を獲得した。
迎えた皐月賞。単勝1番人気に推されたが、前で粘るダイワメジャーにわずかに届かず。2着だったが、皐月賞4着までに与えられる日本ダービーの切符を手にした。
コスモバルクの馬主、ビックレットファームといえば、マイネル軍団でおなじみの岡田総帥の牧場である。岡田氏は以前から最大の目標はダービーと公言しており、コスモバルクで夢がかなうのではないかと期待された。
コスモバルクが中央で初勝利を挙げた1週間後、1頭の馬が新馬戦を制する。その名はキングカメハメハ。新馬戦勝利後にエリカ賞(500万下)を勝利。次の京成杯は3着に敗れたものの、すみれステークス(オープン)、毎日杯を勝利して着実に賞金を積み重ねていく。
1つ目のクラシック皐月賞をパスし、選んだのはNHKマイル(GⅠ)から日本ダービー(GⅠ)のローテーションだった。これはキングカメハメハの松田国英調教師が、クロフネ、タニノギムレットで成し遂げられなかった「変則二冠馬」を目指すローテーションだ。このローテーションは皐月賞から日本ダービーまでは1か月くらい空くのに対して、2週間しかなく、馬にとってはきついローテーションである。NHKマイルは実力通りに圧勝したが、果たして2週間後のダービーまでに体力が回復するのかが注目された。
日本ダービーではこの2頭が人気を分け合う形となった。どちらも王道を通ってきた馬ではなく、異例のダービーとなった。コスモバルクが勝てば地方馬初の日本ダービー制覇、キングカメハメハが勝てば初の「変則二冠馬」誕生というファン心理をそそる対決構造となった。
レースはマイネルマクロスが飛ばしに飛ばす超ハイペースの展開。コスモバルクが直線で先頭に立ったが、前半で折り合いを欠いたことと、ペースが速かったこともあり、バテてしまった。それを一瞬にして抜き去ったのがキングカメハメハ。最後まで脚が衰えず完勝。史上初めての「変則二冠馬」となった。
その後、キングカメハメハはこのローテーションがたたったのか、次の神戸新聞杯を勝利した後に故障を発生し、引退を余儀なくされた。松田調教師の涙の会見が脳裏にやきついているファンも多いのではないだろうか。たしかに「変則二冠馬」を目指すにはレースとレースの間が短くて、死のローテとも言われている。ただ、3歳で1600mと2400mのGⅠを勝ったからこそ、ディープインパクトに匹敵する種牡馬となれたのかもしれない。
一方コスモバルクはその後もホッカイドウ競馬所属で中央競馬、海外競馬に挑戦し続け、ジャパンカップ2着やシンガポールのGⅠを勝つなどの活躍を続けた。今思えば、この世代のレベルは高い。この2頭のほかにも、ダイワメジャー、メイショウボーラー、ハーツクライ、スズカマンボなど古馬になってもGⅠで活躍した馬たちがいる。コスモバルクが違う世代に生まれていれば、念願のダービーに手が届いたかもしれない。