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西竹一、法華津寛、杉谷泰造ら日本馬術界の名選手たち

2017 2/9 09:26
馬術 名選手
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Photo by catwalker/ Shutterstock, Inc.

馬術競技はメディアに取り上げられる機会が少ないため、選手の名前すら知らないという方もいるだろう。 そこで、過去から現在までの有名な馬術選手をピックアップして紹介したい。

日本の馬術競技で唯一の金メダリスト・西竹一選手

オリンピックの馬術競技で日本唯一のメダルとなっている金メダルを獲得したのが西竹一選手だ。名前だけ聞いてもピンとこないという方もいるだろうが、「バロン西」と言うと聞いたことがある方もいるかも知れない。

彼は馬術選手としてよりも、歴史上の人物として書籍や映画などにたびたび登場している。第二次世界大戦中に硫黄島において戦死したため、戦争をテーマにした作品で多く見られる。この「バロン西」こそ西竹一選手なのだ。

西竹一選手と愛馬・ウラヌス号

西竹一選手は、1932年のロサンゼルスオリンピックの障害飛越競技個人において金メダルを獲得している。その時の愛馬・ウラヌス号は、1930年に出張先であるイタリアで自費購入した。それからというもの、ヨーロッパ各地の馬術競技大会に参加し、数々の好成績を引っ提げて出場したオリンピックで金メダルを獲得した。そして、この時の活躍や性格から「バロン西」と呼ばれるようになった。

西選手は死ぬまでウラヌス号のたてがみを離さなかったという逸話や、西選手の戦死した1週間後に後を追うようにウラヌス号も死んだという、胸が痛くなるようなエピソードもある。

高齢者の希望の星となった法華津寛選手

2012年のロンドンオリンピックに71歳というオリンピック史上3番目の高齢で出場を果たした法華津寛選手は、聞いたことがある方も多いのではないだろうか。ロンドンでは馬場馬術の選手として出場したが、元々は障害飛越の選手だった。

初めてオリンピックに出場したのは1964年の東京オリンピックの障害飛越団体と個人。選手としての息の長さには驚くばかりだ。目の衰えから馬場馬術へ転向し、2008年の北京で44年ぶりにオリンピックの舞台へ戻るという復活を遂げた。

6大会オリンピック出場中の障害飛越第一人者・杉谷泰造選手

杉谷泰造選手といえば、40歳となった今でも日本の障害飛越競技の第一人者であり、馬術界においてはビッグネームだ。オリンピックには1996年のアトランタから2016年のリオまで6大会連続という日本人最長の連続出場記録を保持している。

杉谷選手は、実家が杉谷乗馬クラブであることや、父も元馬術のオリンピック選手であったという恵まれた環境の中で、6歳から乗馬を始めた。17歳にして拠点をオランダに移し、20年以上も世界を相手に戦い続けている。2010年以降、リオオリンピックまで愛馬アヴェンツィオ号と共に戦っている。

美人過ぎる馬術選手・武田麗子選手

これから飛躍を期待したい女性選手が武田麗子選手だ。武田選手は美女ライダーとして取り上げられることも多いので、ご存知の方も多いのではないだろうか。杉谷乗馬クラブに所属しているため、先に紹介した杉谷泰造選手と師弟関係にあり、彼女も障害飛越の選手だ。

中学1年生の時から乗馬を始めたというので、かなり遅い部類に入るが、2012年ロンドン、2016年リオと連続してオリンピック出場を果たした。

まとめ

馬術競技の発展に力を尽くしている選手はまだまだたくさんいる。 馬術競技に興味があれば、近隣で行われる国体などの競技会に足を運んでみてはいかがだろう。 未来の名選手と出会える機会があるかも知れない。