「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

オリンピックで最も多くのメダルを獲得した日本人選手は?

2020 2/23 17:00SPAIA編集部
モントリオール五輪の加藤沢男ら日本選手Ⓒゲッティイメージズ
このエントリーをはてなブックマークに追加

Ⓒゲッティイメージズ

初出場の1912年ストックホルム大会はわずか2人

日本がオリンピックに初出場したのは1912年(明治45年)のストックホルム大会だった。このときの出場者は陸上選手2名のみで、メダル獲得は夢のまた夢だった。

しかしそれから時が立ち、戦後や高度成長期、バブルを経て、日本からも実に多くのメダリストが誕生している。日本人メダリストの名前をあなたは何人ご存知だろうか。この記事ではオリンピック史上で最多のメダルを獲得した日本人を紹介する。

一番メダルを獲得した選手は?

日本人でオリンピックメダルの最多獲得選手は、体操の小野喬(おのたかし)。金5、銀4、銅4の計13のメダルを獲得している。

1931年、秋田県能代市出身で、東京教育大学3年時の1952年、ヘルシンキオリンピックに出場し、跳馬で日本人初の銅メダルを獲得。その後も1956年メルボルンオリンピック、1960年のローマオリンピックに出場し、鉄棒・跳馬・団体総合で金、あん馬・個人総合・団体総合で銀、跳馬・平行棒・つり輪で銅を獲得した。1964年の東京オリンピックでは日本選手団主将に指名され、選手宣誓も行った小野は、「鬼に金棒、小野に鉄棒」との異名で親しまれた。

現役を退いた後は学校法人二階堂学園の常務理事を務めたほか、2016年に文化功労者に選出されている。

金メダルの最多獲得選手って誰?

日本人の金メダル最多獲得選手は、体操の加藤沢男(かとうさわお)で、8つの金メダルを獲得している。

加藤は1946年、新潟県五泉市出身で、東京教育大学4年時の1968年メキシコシティーオリンピックに出場したのをはじめ、1972年のミュンヘン、1976年のモントリオールに出場し、団体・個人総合・ゆか・平行棒で金メダルを獲得した。その演技は追究された美しさが魅力で、モントリオールオリンピックの平行棒ではフィニッシュの2回宙返りの際にも足のつま先を伸ばしたままの姿勢を保ち、「体操の教科書」と称えられたほどで、後輩たちに大きな影響を与えた。

1977年に引退してからは筑波大学のコーチを務め、1999年5月の国際スポーツ記者が選んだ「20世紀を代表する25選手」に日本人では唯一選ばれた。

銀メダルの最多獲得選手は?

日本人のオリンピックの銀メダル最多獲得選手は4人。体操の小野喬、同じく体操の内村航平、シンクロナイズドスイミングの武田美保、同じくシンクロナイズドスイミングの立花美哉で、4つの銀メダルを獲得している。

・小野喬
第1章でご紹介したとおり、金・銀・銅の全てのメダルを合わせた最多獲得選手。1956年のメルボルンであん馬・個人総合・団体、1960年のローマでは個人総合で銀メダルを獲得した。

・内村航平
内村は1989年、福岡県北九州市生まれ。父は日本体育大学の体操競技部の出身で、母は元体操選手という体操一家に生まれ、3歳から体操を始めた。オリンピックには2008年の北京、2012年のロンドン、2016年のリオデジャネイロに出場し、個人総合・団体で金メダル、個人総合・団体・ゆかで銀メダルを獲得している。なお世界選手権では前人未踏の個人総合6連覇を果たし、21世紀の体操界を牽引している。

・武田美保
1976年、京都府京都市生まれ。シンクロは7歳から始め、デュエットのペアである立花美哉と中学生の頃から村井雅代が代表をしている村井シンクロクラブで学んだ。立命館大学2年時の1996年に日本代表となりアトランタオリンピックに出場してチームで銅メダルを獲得。2000年のシドニー、2004年のアテネオリンピックにも出場し、デュエット・チームで銀メダルを4つ獲得した。その後は引退しタレント活動のほか、ピラティスインストラクター、公演活動やシンクロクラブの指導を行っている。また2013年には内閣府の税制調査会委員にも就任した。

・立花美哉
1974年、滋賀県大津市生まれ。小学生でシンクロをはじめ、その後井村雅代が代表を務める井村シンクロクラブで学んだ。同志社大学に進み、カナダで競技留学などを経た後、1996年に日本代表として出場したアトランタオリンピックで銅メダルを獲得。2000年のシドニー、2004年のアテネオリンピックにも出場し、武田美保とのデュエットと日本代表チームで銀メダルを計4つ獲得した。その後は現役を引退し、芸能活動やシンクロクラブでのコーチなどをしている。

銅メダルを最も獲得した選手

日本人のオリンピックの銅メダル最多獲得選手は先述した小野喬で、4つの銅メダルを獲得している。1952年のヘルシンキの跳馬、1956年のメルボルンでの平行棒、1960年のローマでつり輪・平行棒で銅メダルを獲得した。

小野喬や加藤沢男、内村航平、武田美保、立花美哉以外にも、多くのメダリストがスポーツを通して日本国中に勇気や感動を届けた。