向かうところ敵なしの学生時代、プロのトーナメントでも活躍
宮里優作選手は沖縄県出身のプロゴルファー。ゴルフインストラクターをする父親に3歳のころよりゴルフを教えられ、数々のジュニア大会で活躍した。
1994年には日本ゴルフ協会主催の日本ジュニアゴルフ選手権競技中学男子の部で優勝、1998年には男子15歳~17歳の部でも優勝を果たしている。大学生になると、向かうところ敵なしで、2000年~2002年にかけて日本学生ゴルフ選手権競技3連覇、2001年には日本アマチュアゴルフ選手権競技のタイトルも獲得した。
アマチュア競技でタイトルを獲得する傍ら、プロのトーナメントにも出場、優勝とまではいかないものの、何度か優勝争いを演じ、注目を集めた。特に住友VISA太平洋マスターズとは相性がいいのか、2000年の大会では最終日を最終組で回って8位タイ。2001年の大会では、3日目6位タイから最終日は追い上げを見せ、首位と2打差の2位タイに入る大健闘を見せた。
この年は日本オープンゴルフ選手権競技で7位タイ、ブリヂストンオープンゴルフトーナメントで4位タイに入るなど、プロとも互角に戦える力があるところを見せた。そして2002年シーズン終了後プロ転向を表明、2003年からはプロとしてツアーに参戦することになった。
プロデビュー初年にシード権を獲得
2003年プロデビュー戦はPGAツアーのソニーオープンinハワイだった。この大会は毎年多くの日本人が参加する。2003年も10名が参戦して、PGAツアーに挑戦した。宮里選手は初日26位とまずまずのスタートを切るも、2日目は52位タイまで後退、辛うじて決勝には進出できた。しかし、3日目は69位とさらに順位を落とし、最終的には72位とプロの洗礼を受けた形でプロデビュー戦を終えることになった。
国内ツアーデビュー戦は4月に行われた東建ホームメイトカップだった。初日42位タイから2日目17位まで順位を上げ決勝に進出、上位入賞が期待された。しかし、3日目で21位まで後退すると、最終日はスコアを伸ばせず14位タイでホールアウト、上位進出はできなかった。その後2試合連続予選落ちが続いたが、6月のJCBクラシック仙台ではプロ転向後初めての優勝争いを演じる。
宮城県開催のトーナメントとあって、東北福祉大出身の宮里選手に期待が集まった。初日、2日目と9位タイで決勝に進み、3日目で2位タイにまで順位を上げる。首位は5打差のベテラン友利勝良選手。最終日は1打差まで詰める場面もあったが、ベテランの技術で逃げ切られて2打差の単独2位で大会を終えた。結局2003年は国内ツアー12試合に出場、賞金ランキング54位でシード権を獲得した。
期待されるも遠い初優勝
シード権も確保しフル参戦となった2004年。初戦は地元沖縄県で行われたアジア・ジャパン沖縄オープンゴルフトーナメントだった。この試合は、2004年シーズンに組み込まれているが、開催日は2003年12月18日だった。地元の声援を受け最終日65の好スコアを出し2位に入る。シーズンの初戦としてはこれ以上ないスタートが切れた。
アマチュア時代の実績からして、優勝は時間の問題だと思われていた。チャンスは6月の全英への道~ミズノオープンで訪れる。この試合は全英オープン日本予選の最終戦として行われ、優勝すれば全英オープンへの切符が手に入る。
初日首位タイと好スタートを切ると、2日目で4位まで後退するものの、3日目盛り返して首位タイで最終日を迎えた。前半は好調で2バーディを奪い2つスコアを伸ばす。そして10番のバーディで一時は首位に躍り出たが12番、14番とボギーを叩き後退、そのまま首位と2打差の5位タイで大会を終えた。
ツアー後半戦はこれといった活躍もなく、2004年シーズンは21試合に出場、賞金ランキングは50位と平凡な成績で終わってしまう。そして初優勝までに10年を費やすことになる。
11年目につかんだ念願の初優勝
初優勝は2013年まで待たなければいけなかったが、チャンスは何回かあった。
2006年9月に行われたサントリーオープンゴルフトーナメントでは、初日3位と絶好のスタートを切り、2日目は単独トップに立った。3日目は首位に並ばれるも、首位タイで最終日を迎えた。前半はパーを重ねる安定したゴルフだったが、9番のダブルボギーで緊張が切れたのか、後半はボギーが先行、結局4ボギーを叩き、10位タイまで順位を下げてしまった。
2007年9月のコカ・コーラ東海クラシックでは初日8位から2日目単独首位に浮上したが、3日目はスコアを落とし、首位と2打差の5位で最終日を迎えた。最終日はスコアを伸ばせない。前半はボギーが先行し取り返すのがいっぱい、後半も2バーディ2ボギーで首位と1打差の3位で試合を終えた。
そして、2013年の最終戦となったゴルフ日本シリーズJTカップでは、3日目を終わって2位に3打差の単独首位とこれ以上ない優勝チャンスを迎えた。最終日は前半スコアを落とすも後半盛り返し、迎えた最終ホールは傾斜のきついパー3。ここをダブルボギーで乗り切れば優勝だった。
しかし、第1打はひっかけ気味でグリーン左のラフへ、アプローチは打ちすぎて反対側のラフまで行ってしまう。下りの難しいアプローチを残し、プレーオフも頭をよぎった3打目のピッチショットはピン上1mから転がりカップイン。プロ転向から11年目で初勝利を果たした。
海外メジャー初挑戦
宮里選手の海外メジャー初挑戦は、2014年の全英オープンだった。ずいぶん遅い挑戦で意外な気もするが、決して海外に意欲がないわけではない。プロ転向後の2003年にはPGAツアーの出場権をかけた予選会に挑戦して、最終予選会まで進んでいるし、2004年も再挑戦をしている。また、年の初めに行われるPGAツアーのソニーオープンinハワイにも可能な限り出場しているように見受けられる。
日本人選手が全英オープンに出場するには、何種類かのカテゴリーがあるが、宮里選手は6月後半に行われた、日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills終了時点の賞金ランキング上位2名の資格で出場権を獲得した。
試合会場はロイヤル・リバプール・ゴルフ・クラブ。イングランドで2番目に古い名門コースといわれている難関コースだ。初日はパープレーで49位タイとまずまずのスタートだったが、2日目は77を叩き、110位タイで予選落ちを喫する。
3バーディ6ボギー1ダブルボギーの内容に、風を気にしすぎたが技術的な問題ではないとコメントし、来年以降の雪辱を誓うも、2回目の出場となった2016年全英オープンでは、111位タイで予選落ちと返り討ちにあってしまった。
2017年の出場資格はまだ持っていないが、予選は始まっている。4月の中日クラウンズで優勝して、気力も十分。2017年こそ雪辱を果たしてほしい。