タイガー・ウッズ選手のライバルと目され注目を集める
2017年マスターズはスペインのセルヒオ・ガルシア選手と、イングランドのジャスティン・ローズ選手のプレーオフにもつれ込んだ。18番ホールを使って行われたプレーオフ1ホール目、ローズ選手のボギーに対してバーディパットを残したガルシア選手は、見事にカップイン。19回目の出場でマスターズを制した。
ガルシア選手のゴルフとの出会いは早く、プロゴルファーだった父親の手ほどきを受け3歳のころよりクラブを握る。すると、めきめき頭角を現し天才アマチュアとして注目を集めた。15歳でプロの欧州ツアーで予選通過、17歳では下部ツアーで優勝する。
1999年にはマスターズでベスト・アマチュアを獲得、同じ年の5月プロに転向して、7月に行われた欧州ツアーのアイリッシュ・オープンでプロ初優勝を飾る。そして8月に行われた全米プロゴルフ選手権に出場した。初日単独トップに立つも、3日目を終わって首位と2打差の3位タイで最終日を迎える。
首位はメジャー2勝目を狙うタイガー・ウッズ選手だった。ウッズ選手の楽勝逃げ切りかと思われたが、終盤ガルシア選手もよく粘り、1打差まで詰め寄りウッズ選手を苦しめた。結局ウッズ選手が逃げ切りメジャー2勝目を手にするが、ガルシア選手はウッズ選手のライバルとして注目を集める存在となった。
最終日上がり3ホールの重要性を身をもって体験した日本ツアーでの敗戦
全米プロゴルフ選手権の後は、欧州ツアーに帰りリンデ・ドイツ・マスターズで2勝目を挙げ、2年に一度行われるライダーカップのメンバーに選ばれた。ライダーカップは欧州ツアーとアメリカツアーの対抗戦で、両ツアーの名誉をかけて争われる。このメンバーに選ばれたガルシア選手は、名実ともに欧州ツアーのトップ選手の仲間入りを果たすことになった。
1999年の秋には日本のツアーにも参戦し、2試合を戦った。毎年多くの外国選手が参加する住友VISA太平洋マスターズと、ダンロップフェニックストーナメントの2連戦だ。初戦の住友VISA太平洋マスターズは長旅のせいか初日から波に乗れず、55位タイと下位で低迷してしまう。しかし、ダンロップフェニックストーナメントでは、息詰まる戦いが待っていた。
初日は首位と3打差-3の6位タイだったが、2日目には-7としてデンマークのトーマス・ビヨン選手と並んで首位タイに躍り出る。3日目もたがいにスコアを伸ばし、-10で首位タイのまま最終日を迎えた。最終日は、前半ガルシア選手が伸ばし、14番ホールを終わって3打のリード。このまま逃げ切るかに思われたが、ビヨーン選手が残り4ホールで3バーディを奪いプレーオフに突入すると、ガルシア選手は4ホール目でバーディーを奪われ力尽きた。ゴルフは上り3ホールがいかに大事かを教えてくれた敗戦だった。
爆発的なスコアでPGAツアー初勝利
2000年はPGAツアーに16試合出場するが、ベスト10が5回あるものの優勝には届かず、賞金ランキングも42位と満足な結果は残せなかった。この年は欧州ツアーの優勝もなく無冠でシーズンを終わる。
2001年はPGAツアーに18試合出場した。3年連続出場となったマスターズでは予選落ちを喫したが、5月に行われたマスターカードコロニアルで、PGAツアー初優勝を果たす。初日首位と4打差の16位タイと好位置からスタートするも、2日目は6打差24位まで順位を下げた。しかしここから圧巻の追撃が始まる。3日目-5とスコアを伸ばし首位と5打差の7位タイに浮上すると、最終日は-7と爆発的なスコアで、2位に2打差をつけて優勝に輝いた。
勢いは途切れず、6月初めのメモリアルトーナメントでは2位に輝き(優勝はタイガー・ウッズ選手)、翌々週の全米オープンでの2人の戦いが注目された。しかし2人とも12位タイとスコアを伸ばせず、優勝争いには加われていない。しかし、ガルシア選手の好調は続き、次週に行われたビュイック・クラシックで2勝目を挙げる。2001年は2位も2回あり、賞金ランキングも6位に浮上、存在感を再認識させたシーズンになった。
悪癖を直した精神力でも勝てなかったメジャー大会
プロになったばかりの頃のガルシア選手には、大きな欠点があった。構えてから打つまでの時間が長すぎるのだ。何回も何回も、持ち手を変えるワッグルを行う。ワッグルは静から動へのタイミングを取るために行う行為で、スムーズなテイクバックを与えてくれるが、2~3回も行えば十分だ。
それを10回では終わらず、20回ほど繰り返す。テレビ中継は映さなければいいが、同伴競技者はそうはいかない。ショット毎に延々つき合わされるのだ。批判が相次ぐようになると、ガルシア選手その動作をピタリと止めた。ある程度作り上げたルーティンを変更するのは難しいものだが、やってのけたガルシア選手の精神力は相当強固なものに違いない。
しかし、その精神力をもってしてもメジャーでは勝てなかった。最も勝利に近づいた2007年全英オープンでは最終日2位に3打差の単独首位でスタートした。しかし、ガルシア選手は前半にスコアを崩し、6打差3位タイからスタートしたアイルランドのパドレイグ・ハリントン選手が追い上げを見せる。
それでも1打リードで迎えた18番ホール、入れれば優勝の1.5mのパーパットを外し、プレーオフにもつれ込んでしまう。4ホールのストロークプレーで行われたプレーオフは1打差でハリントン選手が勝ち、ガルシア選手のメジャー初勝利はお預けとなった。マスターズまでのメジャー未勝利73試合は歴代でも3位に入る。
メジャー74試合目につかんだマスターズ
2017年は2月に行われた欧州ツアー、オメガドバイデザートクラシックで優勝を飾り、メジャー第1戦マスターズに臨んだ。
初日は-1で回り4位タイと好位置からのスタートを切る。2日目は-3で回りトータル-4で首位タイに浮上、メジャーに勝てないレッテルをはがす可能性が膨らんだ。3日目は-2で回って、-5で回ったジャスティン・ローズ選手と共に-6の首位タイで最終日を迎える。
1番、3番とバーディを重ねたガルシア選手に対して、ローズ選手は5番でボギーを叩き、ここで3打の差がついた。しかしローズ選手もあきらめない。6番から3連続バーディで盛り返し、両者-7のまま後半戦に入った。するとガルシア選手がおかしくなる。10番、11番で連続ボギーを叩いて後退、今年もここまでかと思われた。
14番でバーディを取ると15番ロングホールでは起死回生のイーグルを奪い、再び首位に躍り出た。ローズ選手も負けてはいない、15番バーディで並ぶと16番でも連続バーディで単独首位に立つ。だが、17番でボギーを叩き首位タイで並ぶと、両者共18番はパーで上がりプレーオフに突入した。
ガルシア選手とローズ選手は同じ1980年生まれ。ライダーカップでは共に戦う同志だ。勝負がついてお互いを称えあう姿が印象的だった。メジャーに勝てないレッテルをはがした、ガルシア選手の今後に期待したい。