プレーオフに突入、薄氷の勝利だった初優勝
片山晋呉選手は茨城県出身のプロゴルファー。日本大学ゴルフ部を経て、1995年プロゴルフテストに合格、1998年にサンコー・グランドサマートーナメントで初優勝、2008年日本オープンゴルフ選手権で25勝目を挙げ、永久シード権を獲得する。その間、賞金王には5回輝き、2016年にはオリンピックにも出場、10月にはマイナビABCチャンピオンシップで区切りとなる、6人目の通算30勝に到達した。
プロ実質1年目の1996年は、レギュラーツアー3試合に出場して予選通過はなく、賞金獲得はできなかった。1997年になると21試合に出場して予選通過16試合で賞金ランキングも55位と、来季シード権を獲得する。シード選手1年目の1998年、サンコー・グランドサマートーナメントで初優勝を飾った。
この試合は2日目首位に立つと、3日目もスコアを伸ばし、2位に4打差で最終日を迎える。ところが最終日はスコアが伸びない。結局2位から出た細川和彦選手に追いつかれるが、プレーオフで耐え抜き、3ホール目で勝利を決めた。薄氷を踏むようなツアー初優勝だった。
逆転で手にした最初の賞金王
初優勝を挙げた1998年は19試合に出場、13試合で予選通過、優勝1回で賞金ランキングも22位にまで上昇した。1999年は24試合に出場して22試合で予選通過、優勝1回と、ぐっと安定感を増した。賞金ランキングも8位まで躍進する。
2000年は忘れられない年になった。開幕4戦目のアジアパシフィックオープンゴルフ選手権 キリンオープンで早々と優勝を果たすと、5月のマンシングウェアオープンKSBカップでも優勝と、前半戦を好調に乗り切る。特にキリンオープンは地元茨城県で開催された大会で、地元優勝を目標にしていただけに、達成感もひとしおだっただろう。
しかし、6月のミズノオープン、JGTO TPCイーヤマカップで連続予選落ちを喫し、夏場には失速してしまう。しかし、復活を目指して調整し、10月の日本オープンゴルフ選手権は10位、Philip Morris Championshipでは2位と調子を上げ、11月のダンロップフェニックストーナメントでは優勝、賞金ランキングでも3位に浮上した。
12月に入ると日本シリーズJTカップに優勝して首位谷口徹選手に800万円弱に迫る2位に浮上、最終戦ファンケルオープンin沖縄で優勝すれば賞金王とまで迫る。最終戦は初日から好調で、2日目単独トップに立つとそのまま逃げ切り、初めての賞金王に輝いた。
5回目の賞金王と永久シード選手
片山選手は2000年に5勝を挙げると、その後も毎年順調に優勝回数を重ねた。2001年~2007年で16勝、計23勝になっている。その間、2004年~2006年までは3年連続賞金王にもなり、2008年は5回目の賞金王と、永久シードの25勝という二兎を追う年となった。
国内初戦、東建ホームメイトカップは22位タイだったが、第3戦の中日クラウンズでは3位と調子を上げ、翌々週のメジャー初戦、日本プロゴルフ選手権大会に臨むこととなる。初日2位タイでスタートすると、2日目トップに立ち、3日目は2位に7打差をつけ独走態勢に入った。結局最終日もスコアを伸ばし-23の大会新記録で優勝、永久シードまであと1勝と迫る。
そして迎えたメジャー第3戦日本オープンゴルフ選手権では、初日を首位タイでスタートすると、2日目で単独首位に立ち、3日目、最終日と首位を堅持、ついに25勝目を挙げ、永久シード選手の仲間入りを果たした。1998年の初優勝から11年目の快挙だった。この年は、三井住友VISA太平洋マスターズでも優勝を挙げ、年間3勝を達成、5回目の賞金王にも輝いている。
海外メジャーでも好成績
片山選手は2007年~2009年まで3年連続で全英オープンを辞退した。また、2008年の全米プロゴルフ選手権も辞退している。いずれも持病ともいえる背中の痛みによるもの。そんな中で、2008年には全英オープン欠場表明後に、日本のメジャー大会UBS日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズに出場し、物議を醸すこととなった。
世界最古のメジャー大会を欠席して、自分の25勝を優先した、との批判もあったのである。そんな事件もあり、片山選手は世界4大メジャーにはあまり積極的でなかった印象がある。
しかし2001年全米プロゴルフ選手権4位、2009年マスターズ4位の出場と実績は、しっかりと準備をしたからこそ得られたのである。
2001年の全米プロゴルフ選手権では初日11位タイから2日目はトップタイに躍り出る活躍を見せた。2009年マスターズでは、初日首位と2打差の4位タイでスタートを切り、2日目、3日目と6位タイで粘って、最終日は68と追い上げたが、首位に2打及ばず単独4位で終わった。4位は2001年伊澤利光選手の4位タイに並ぶもので、2017年時点日本人選手では最高の順位となった。
2016年オリンピックに出場と日本ツアー6人目となる30勝を達成
2008年26勝目を挙げた後は、しばらく優勝から遠ざかる。永久シード選手を達成して、燃え尽きた感じがあった。
それでも2013年になると、27勝目を挙げ、18位まで下がった賞金ランキングも、3位まで戻す。以降は、2014年、2015年と1勝を挙げ29勝として、2016年シーズンを迎えた。
2016年はオリンピックイヤー。ゴルフもオリンピック種目として再開し、選出は7月11日時点の世界ランキングにより自動的に選出される決まりとなっていた。日本からは2名の選出が濃厚であり、7月11日時点での候補は、1位松山英樹選手、2位は谷原秀人選手、3位に池田勇太選手、4位が片山選手だった。
ところが上位2名が相次いで出場辞退を表明する。片山選手も当初、迷ってはいたが、出場を決意。オリンピック出場を果たす。結果は54位と振るわなかったが、オリンピック出場の重みと経験は財産となったであろう。
オリンピックが終わると、国内ツアーも終盤戦に突入、片山選手も調子を取り戻す。そして10月末に行われたマイナビABCチャンピオンシップで、初日から2位で甘んじてはいたが、最終日に逆転優勝。国内ツアー6人目となる30勝を達成することができた。2020年東京オリンピックを目指して、これからの活躍を期待する。