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若手女子ゴルファー憧れの宮里藍選手、その強き戦歴を振り返る

2017 6/28 09:44hiiragi
ai miyazato
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プロ1年目で年間5勝、2年目で年間6勝

宮里藍選手は2003年、東北高等学校3年生の時に日本LPGAレギュラーツアーの、ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメントに優勝し、同年プロ宣言、史上初の高校生プロゴルファーの誕生で、世間の注目を集めた。
これだけでも、当時のゴルフジュニア世代にとっては、十分憧れの存在になり得たが、プロ1年目に、開幕戦のダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントに優勝すると、年間5勝を挙げ賞金額は1億2千万円を超え、賞金ランキング2位に入り、より高みへと昇って行く。
翌2005年も活躍は続き、年間6勝を挙げ、当時の絶対女王不動裕理選手を追い詰めた。残念ながら賞金女王にはなれなかったが、この年も1億円越えで2位に入った。そしてUSLPGAのQTを受け、2006年シーズンのシード権を獲得。2006年からはUSLPGAツアーを主戦場として戦うこととなった。

なかなか勝てなかったUSLPGAツアー

USLPGAのQTは12打の大差をつけての首位通過した。日本での実績と照らし合わせてみても、USLPGAツアーでの優勝は、時間の問題だと思われていた。しかし世界最高峰のツアーは、それほど簡単ではなかった。
ツアー1年目は21試合に出場して、TOP10が7試合、予選落ちが2回で、賞金ランキングは22位だった。数字的に見てみると、ドライバー飛距離の61位は最初から分かっていたことだったので良いが、サンドセーブ率が31.70%で122位は、ショートゲームが命綱の宮里選手には、致命的な数字である。
それでも、メジャーのマクドナルドLPGAチャンピオンシップでは、3日目首位に立つという大健闘を見せ、最終日最終組でスタートした。しかし首位と1打差の3位タイで惜しくもプレーオフに進めず。
2007年は25試合に出場してTOP10が7試合、予選落ちが5試合ながら、賞金ランキング17位、サンドセーブ率は48.60%で17位まで上昇した。2008年も優勝はなく、23試合に出場してTOP10が3回、予選落ちが6回もあり、賞金ランキング46位に落ち込んでいる。それでも、サンドセーブ率52.3%で7位まで上昇し、ツアーのバンカーにも慣れてきた。

エビアンマスターズでUSLPGAツアー初優勝、賞金ランキング3位に

USLPGAツアー4年目の2009年、念願の初優勝を果たした。この年2009年は開幕から比較的安定した戦いで、7月の全米女子オープンまでは一度も予選落ちがなかった。そして臨んだエビアンマスターズで悲願成就の優勝である。
エビアンマスターズはフランスのエビアンリゾート・ゴルフクラブで行われる大会で、2000年から欧州女子ゴルフツアーとUSLPGAとの共催試合となった大会である。2013年からはメジャー大会として格上げされ、大会名もザ・エビアン選手権と改称された。2009年当時は全英オープンの直前に開催されていたという関係で、全英オープンの前哨戦としては日本人の出場も多い大会だった。
宮里選手は初日、首位と2打差の8位でスタートする。2日目に首位に並び、3日目は首位から1打差の4位タイで最終日を迎えた。最終日もスコアを伸ばし、単独首位でホールアウトして最終組の結果を待つ。結局最終組で回ったスウェーデンのソフィー・グスタフソン選手に並ばれ、プレーオフになったが、1ホール目バーディを奪い初優勝を果たした。2009年はその後も好調で22試合に出場しTOP10が13回もあり、賞金ランキングは3位に躍進した。

開幕ダッシュで年間5勝を挙げた2010年

2010年は宮里選手にとって忘れることのできない年となった。初戦のホンダPTT LPGAタイランド、3日目を終わった時点で、首位はノルウェーのスーザン・ペターセン選手。ペターセン選手は-18、宮里選手は6打差の3位タイ-12で、最終日を迎えた。
最終日に宮里選手は爆発的な快進撃を見せる。1イーグル、8バーディ、1ボギーの内容でスコアを-21まで伸ばし、最終組のペターセン選手を待つこととなる。ペターセン選手もスコアを伸ばすが、16番ホールのボギーが響き-20でホールアウト、大逆転による宮里選手のツアー2勝目が確定した。
続く第2戦HSBC女子チャンピオンズでは首位タイで最終日を迎える。3位タイから逆転となった前回と違って、首位で最終日を迎え、プレッシャーがかかる。1番2番と連続ボギーで最悪の立ち上がりだったが、4番5番の連続バーディで取り返すと緊張感もほぐれ、2位に2打差をつけて開幕2連勝を飾る。
この年は5月初めのトレスマリアス選手権、6月のショップライトLPGAクラシック、8月のセーフウェイクラシック Presented byコカコーラにも勝ち、年間5勝と強い宮里藍を見せつけた1年となった。年間成績は21試合に出場してTOP10が9度、賞金ランキングは6位となる。

世界ランキング1位を12週

2010年の4勝目となったショップライト LPGA クラシック後、宮里選手は申ジエ選手を抜き、世界ランキング1位に躍り出る。女子ゴルフ世界ランキングは2006年シーズンから導入され、過去2年間に獲得したポイントの平均値でランキングを決めるシステムだ。2016年リオオリンピックの代表選定に活用され、話題になった。
ランキング1位で臨んだ初めての試合は、翌週に行われたメジャー大会LPGAチャンピオンシップだった。この大会はアメリカのクリスティ・カー選手の優勝で幕を閉じる。宮里選手は最終日に追い上げたのだが、3位タイに終わり、優勝したカー選手にランキング1位の座を明け渡した。その後、宮里選手はランキング1位に返り咲き、トータル12週1位の座に着いた。
2011年は初優勝を飾ったエビアンマスターズで1勝を挙げ、2012年2勝目となるウォルマート NW アーカンソー選手権を最後に優勝から遠ざかっていた。
2017年5月29日、宮里選手は突如とも思える引退会見を開き、今シーズン限りの引退を発表した。「モチベーションを維持することが難しく」なったのが最大の理由であることを明かし「今シーズンはまだ残っているので最後は勝って終わりたい」との決意も語った。
2017年9月、初優勝を飾った地エビアンで宮里選手の現役生活は幕を閉じた。通算1オーバー32位タイと優勝には届かない成績だったが、その表情は晴れやかであった。「とても嬉しい気持ちでいっぱい」「友達の姿を見て泣きそうだった」と素直な胸のうちを明かし、一番したいことは「家でゆっくり普通の暮らしをしたい」と笑った。ツアープロは引退してもプロは辞めない、これからも練習したいという宮里選手。その雄姿を再び見れる日は近いのかも知れない。