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海外競技の経験も豊富、オリンピック日本コーチ・丸山茂樹選手

2017 6/28 09:44hiiragi
shigeki maruyama
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日本で9勝を挙げ2000年からPGAツアーに参戦

2016年、112年ぶりに復活したオリンピックのゴルフ競技で、日本代表チームのコーチに指名されたのは、男子プロゴルファー丸山茂樹選手。丸山選手のゴルフワールドカップにおける数度の日本代表経験、プレジデンツカップの代表経験に加えて、豊富な海外ツアーの実績や経験がオリンピックの舞台に必要だった。「まるちゃん」の愛称で、だれからも愛されるプロゴルファー丸山茂樹選手のその経験と実績に焦点を当てる。
丸山選手は日本大学ゴルフ部出身。学生時代の1990年、91年と日本学生ゴルフ選手権で優勝、1992年プロとなる。プロ初優勝は1993年宇部興産オープンゴルフトーナメントだった。-8を2日間も出してトータル-20で優勝。この年は賞金ランキングも20位に入り、シード権も獲得、プロゴルファーとして本当の意味でのスタートの年となる。
1995年賞金ランキング3位まで順位を上げると、1997年には日本プロゴルフ選手権大会など4試合に優勝を飾り、賞金ランキングも2位まで躍進する。結局1999年までの7シーズンで9勝を挙げ、2000年からはPGAツアーに本格参戦することとなる。

プレジデンツカップの代表に抜擢され活躍

1997年の活躍で、日本のホープと目された丸山選手は、1998年のプレジデンツカップ代表に抜擢され、アメリカ選抜選手相手に戦うことになる。プレジデンツカップというのは、プロゴルファーの国際化に伴い、ライダーカップに対抗して創設された大陸間対抗戦で、ライダーカップがヨーロッパ選抜対アメリカ選抜なのに対して、プレジデンツカップはヨーロッパ以外の世界選抜対アメリカ選抜で戦われる大会である。1994年に創設され、ライダーカップと1年交代で行われている。
1998年のプレジデンツカップはオーストラリアのメルボルンで行われ、世界選抜が勝利を収めた。この試合で丸山選手はチーム戦、個人戦の計5試合に出場して5戦5勝と大活躍し、チームの勝利に貢献して大会MVPに選ばれている。プレジデンツカップは2015年までの11回でアメリカ選抜が9勝1敗1分けと圧倒的な強さを見せているが、ただ一度の敗戦がこの大会だった。
丸山選手は2000年大会にも選抜され、選手として2大会で活躍したばかりではなく、2013年には世界選抜の主将を務めるニック・プライス氏に請われ、副主将を務めている。ニック・プライス氏は、丸山選手と共に戦ったチームメイトで、丸山選手の明るさにムードメーカーを期待しての要請でした。

プレーオフの末、手繰り寄せたPGAツアー初優勝

アメリカに渡った丸山選手の2000年は、26試合に出場して賞金ランキング37位の好成績を残した。この年は2回目のプレジデンツカップに出場するとともに、シード選手の仲間入りをしたうれしい年となった。そして、2年目の2001年には初優勝を飾ることとなる。
2001年初戦は、WGCアクセンチュアマッチプレー選手権。この試合は、ワールドランキング64位までに出場資格が与えられる大会で、日本からも数名が参加した。丸山選手は4回戦まで勝ち上がり、準々決勝で谷口徹選手と対戦、残念ながら敗れたが、5位タイとまずまずの滑り出しを見せる。マスターズでは予選落ちを喫するものの、そこそこの成績で夏場を迎えた。
そして7月のグレーター・ミルウォーキーオープンでは、最終日2位からスタートすると、プレーオフの末、優勝を勝ち取る。この優勝は、1983年青木功選手が手にしたハワイアン・オープンのタイトルに次ぐPGAツアーの優勝で、アメリカ本土では、日本人初の快挙だった。以降3年間は毎年1勝を挙げ、PGAツアーに定着している。

ゴルフのワールドカップで伊澤利光選手と組んで優勝

丸山選手がアメリカで初優勝を飾った2001年、ゴルフのワールドカップが日本の太平洋クラブ御殿場コースで開催された。ゴルフのワールドカップとは1953年にカナダ・カップとして創設され、2009年までは毎年開催された試合であり、その後隔年開催となっている。
競技方法は、各国2名が参加し、団体戦又は個人戦で行われる。日本での開催は、過去1957年に1度のみであり、この時は霞ヶ関カンツリー倶楽部が会場であった。日本からは小野光一選手と中村寅吉選手が出場。団体で優勝を飾るとともに中村選手は個人優勝も獲得し、日本にゴルフブームを作るきっかけとなった。
2001年、丸山選手はこの大会に伊澤利光選手と組んで出場した。44年ぶりの日本開催となり、当然2人に優勝の期待がかかる。しかし優勝は、アーニー・エルス選手とレティーフ・グーセン選手の南アフリカ。日本は11位と振るわずだった。
しかし、翌2002年メキシコで行われた大会で、前年と同じ丸山・伊澤両選手で臨み、アメリカとの接戦を制し、見事優勝を勝ち取っている。近年では、2016年団体戦が行われ、松山英樹選手と石川遼選手が出場、優勝を期待されたが6位に終わっている。

世界をつかみかけた全英オープン

丸山茂樹選手の4大メジャー初出場は、1996年の全英オープンだった。全英オープンは、日本でもミズノオープンの上位入賞選手が出場できるなど、比較的日本選手が多い大会である。
この年も田中秀道選手、金子柱憲選手など6名が出場して、丸山選手は日本人トップの14位タイと結果を残している。どうも全英オープンとは相性がいいようで、翌1997年にも日本人トップの10位タイだった。以降2005年まで10年連続出場しているが、2002年には、全英制覇の絶好のチャンスが訪れている。
初日-3の首位と1打差でスタートを切ると、2日目も-3で回り、首位タイに浮上。3日目は難しいコンディションの中+4とスコアを崩すものの、ほかの選手も同様で、首位と3打差の3位タイで最終日を迎えた。最終日は、首位でスタートしたアーニー・エルス選手はスコアを1つ伸ばすにとどまり、大混戦となり、一時期首位に立った丸山選手は、一瞬勝ったと思ったそう。しかし残念ながら首位とは1打差の5位タイという結果だった。
丸山選手はメジャーには34回出場、全米オープンでも4位タイと優勝争いに絡んでいる。2020年東京オリンピックを控えて、世界で戦ってきた丸山選手の経験が日本チームにとって、大きな力になることは確実である。