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年間10勝!女子プロゴルフ永久シード不動裕理選手の華麗なる戦歴

2017 6/28 09:44hiiragi
ゴルフ 優勝
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日本女子プロゴルフ初の年間獲得賞金1億円越え

不動裕理選手は、熊本県出身の女子プロゴルファーだ。1996年プロテストに合格、68期生としてスタートした。2000年から6年連続賞金女王、史上初めて年間獲得賞金1億円突破、生涯獲得金額1位、史上最年少永久シード選手など、華々しい実績を持っている。
ツアー初優勝は、1999年11月に行われた伊藤園レディスゴルフトーナメントだ。最終日首位と2打差の2位からスタートし、見事逆転で勝ち取った初優勝し、1999年は27試合に出場してTOP10が16回。一度は首位に立ちながら、勝ちきれない試合もあったが、この優勝で、もう一つ足りなかった何かをつかんだのかもしれない。賞金ランキングでも10位に入り、翌2000年になると不動選手の快進撃が始まった。
2000年は27試合に出場し、TOP10が22回あり、優勝は6回。獲得賞金額は約1億2千万円で、女子プロゴルファーとして初めての1億円越えだ。まだ優勝賞金も今のように大きくない時代、6回の優勝賞金合計額は6480万円だった。優勝できなかった残りの試合で、いかに安定した成績を残して賞金を積み重ねたかがよくわかる。

ワールドレディスゴルフトーナメントでカリー・ウェブ選手に勝利

2001年は、開幕戦ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントの優勝でスタートを切った。この試合は、2日目を終わって首位と6打差18位タイからの大逆転劇となった。風速20mを超える強風に、上位の選手がスコアを崩したのだ。不動選手は、強風を見越して前日練習した低いドライバーショットが好調で、ただ一人アンダーパーで回り、2位に3打差をつけての優勝となった。
2勝目は、8月に行われたヴァーナルオープンでした。続いて、8月末のヨネックスレディスオープンゴルフトーナメントで今季3勝目を挙げ、賞金ランキングもトップに躍り出た。結局10月にも富士通レディースを勝ち、2年連続賞金女王に輝いたのだ。
2002年は、ニチレイカップワールドレディスゴルフトーナメントで初優勝。この大会は、日本のトッププロと世界のトッププロの戦う場として、1973年に開始された。過去2年間はオーストラリアのカリー・ウェブ選手が優勝しており、勿論2002年も大本命。
予選で、不動選手とウェブ選手は同組で回り、初日にはトップに立ったが、3日目で追いつかれ、最終日はマッチプレーの様相だった。結局は最終日に-5を出した不動選手が、-2のウェブ選手選手を抑え勝利。世界トップに真っ向勝負で手にした勝利だった。

メジャータイトル獲得と年間10勝

不動選手は2002年も4勝を挙げ、賞金女王3連覇を達成した。ここまでで15勝を挙げたものの、メジャーでの優勝はなかった。
2003年は開幕戦のダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントで優勝を飾ると、次々と優勝を重ね、8月の新キャタピラー三菱レディースでは、5勝目を飾り、通算でも20勝を達成。そして、メジャー第1戦日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯に望んだ。
初日は、首位に1打差の3位タイと絶好位置でスタート。2日目単独首位に躍り出ると、3日目も首位をキープ、2位に2打差をつけて、最終日を待つのみ。最終日は33度を超える炎天下で行われた。不動選手は出だしでバーディを奪うも、10番、13番をボギーにして、大場美智恵選手、古閑美保選手に1打差まで迫られた。
やはりメジャーの重圧かと思われた15番ロングホールでは、2打目がピンそば約60cmにつくスーパーショットでイーグルを奪い、そのまま逃げ切り、21勝目にして初めて手にした、メジャータイトルだった。この後4勝を重ね、2003年は10勝を挙げ、賞金女王4連覇を飾った。年間10勝は、年間最多優勝回数としてまだ破られていない。

若手の挑戦を退け27歳で30勝に到達、最年少永久シード選手の誕生

不動選手は1999年の初優勝から5年間で25勝を挙げ、永久シード権が与えられる30勝も見えてきた。そんな中、2004年は幕を開けた。
2004年の初優勝は、開幕2戦目の再春館レディース火の国オープンだった。この試合は韓国の高又順選手と、当時まだアマチュアだった横峯さくら選手とのプレーオフに持ち込まれた。1ホール目で高選手が脱落、横峯選手との一騎打ちとなった。
前年10勝を挙げ、賞金女王4連覇中の絶対王者が、アマチュアに負けるわけにはいかない。2ホール目、バンカーからピタリと寄せた不動選手に対して、2オンの横峯選手は、まさかの3パットで勝負はついたのだった。
第5戦、第7戦と勝利を重ね、国内10戦目の廣済堂レディスゴルフカップで4勝目を挙げ通算30勝に王手をかけた。翌週の試合は、ゴルフ5レディスプロゴルフトーナメントだった。
初日に16位と出遅れた不動選手は、2日目はそつのないゴルフで首位に立ち、単独首位で最終日を迎えた。1打差の単独2位は、当時まだ中学3年生だった金田久美子選手だった。難しい設定で我慢比べとなった最終日、前半は互角の戦いをした金田選手だったが後半に脱落、最後まで我慢をした不動選手が2位に3打差をつけて優勝を飾った。最年少となる27歳での永久シード選手の誕生だった。

好敵手を抑えて賞金女王6連覇を達成

永久シードとなった不動選手は、おごることなく精神的な成長を課題に挙げるとともに、アマチュア選手の活躍にも触れ、実力のあるアマチュアがプロになる数年先に、対等に戦えるよう頑張りたいとコメントしている。2004年はさらに2勝を積み上げ、年間7勝で賞金女王5連覇を飾った。
賞金女王がかかった、2004年最終戦LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップでは、3日目を終わって首位は宮里藍選手、不動選手は2打差の2位タイだった。宮里選手が優勝して、不動選手が7位タイ以下だと賞金女王は宮里選手が獲得。
前半は宮里選手が快調で、3打差で後半戦に入りました。10番をボギーとした不動選手は、11番13番でバーディを奪い、12番をボギーとした宮里選手に1打差と迫った。すると宮里選手は14番で深いバンカーにつかまり、痛恨のダブルボギーを叩き、このホールボギーだった不動選手がついに追いついた。残り4ホールをパーで切り抜けた不動選手に対し、宮里選手は17番でボギーとなり、1打差で不動選手が勝利を収めた。
翌2005年の賞金女王もこの2人によって争われ、最終戦までもつれ込んだ結果、宮里選手が最終戦を欠場し不動選手の6連覇が確定した。永久シードの条件である30勝の半分を、2003年と2004年の2年間で稼いだ不動選手のような選手は、もう出ないかもしれない。

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