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日本女子プロゴルフ界に君臨する樋口久子の確かな存在感

2017 5/17 09:55hiiragi
ゴルフ 殿堂
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女子プロゴルファー1期生

樋口久子(ひぐちひさこ)氏は、日本女子プロゴルフ協会相談役として精力的に活動している。女子プロゴルフ界とのかかわりは長く、女子プロゴルファー1期生として競技生活を送った後は、指導者として日本のゴルフ業界発展に尽力してきた。日本女子ゴルフの歴史は樋口久子氏の歴史だといっても過言ではないのだ。
樋口氏とゴルフの出会いは、姉が務めていた東急砧ゴルフ場だった。当時トッププロだった中村寅吉氏と知り合い、弟子入りを果たす。中村氏は男子プロゴルファーとして活躍する傍ら、女子プロゴルフの基礎作りにも積極的に参画、日本女子プロゴルフ協会誕生に尽力した。
そして、1967年、女子プロゴルフ協会が設立され、初代会長には中村氏が就任、樋口氏は、女子プロ試験を受けプロ第1期生として登録する。プロ1期生といっても、当時はまだ試合のない時代で、1970年でも5〜6試合程度のものだった。シーズンの始まりも夏過ぎからだ。樋口氏は日本では試合のない春先をアメリカの女子ゴルフツアーに参戦してきた。

海外での活躍と全米女子プロゴルフ選手権優勝

1970年より続けていたアメリカ女子ツアーへの遠征が、樋口氏を強くしてくれたことは間違いない。1973年には全米女子プロゴルフ選手権で、最終日の最終組で回れるほどになっていた。この時は優勝できなかったものの、可能性は感じさせてくれた。
翌1974年にはオーストラリア女子オープンで海外初優勝を現実のものとし、1976年にはコルゲートヨーロッパ女子オープンで優勝してアメリカ女子ツアーに足跡を残した。快挙はこれだけにとどまらず、1977年の全米女子プロゴルフ選手権では、日本人として初めてアメリカ女子プロゴルフツアーのメジャー大会を制する。
樋口氏は最終日のスタート前、一つの誓いを立てていた。それは会場のスコアボードを見ないというものだ。この試合の前の試合でも最終日の最終組で回っていたのだが、その時は優勝を意識して自滅した苦い経験があったからだ。そのかいあってか、平常心のプレーが続き、終盤まで何事もなくたどり着く。終盤、ふとしたことからリーダーボードを見てしまうが、何とかそのままプレーを終わり優勝を手にすることができた。

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