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尾崎将司選手、日本プロゴルフ選手権6勝の重み

2017 5/17 09:55hiiragi
golf drivers
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日本プロゴルフ選手権で決めたプロ初優勝

日本男子プロゴル界のレジェンド尾崎将司(おざきまさし)選手は数々の功績を打ち立てた。プロゴルフツアー通算113勝、日本ツアー賞金王12回、国内メジャー勝利20勝など、挙げればきりがない。特にプロ日本一を決める日本プロゴルフ選手権では6回の優勝を誇り、他の追随を許さない。尾崎将司選手の日本プロゴルフ選手権での戦いを振り返ってみたいと思う。
尾崎選手の初優勝は1971年に行われた第39回日本プロゴルフ選手権だった。コースは宮崎県のフェニックスカントリークラブ、7105ヤードパー72の設定だった。
初日は強い風の中、ベテラン杉本英世選手が投げ出す。尾崎選手は4打差で続き、まずまずの位置で初日を終えた。2日目は雨で中止となり、3日目18ホール、最終日36ホールの変則スケジュールになった。
第2ラウンドとなった3日目は河野高明選手が首位に立ち、尾崎選手は2打差4位の好位置で、最終日の36ホールに挑んだ。尾崎選手は前半18ホールが終わった時点で、島田幸作選手と共に首位に立つ。そして迎えた後半戦10番ホールでは、300ヤードのドライバーショットから4番アイアンで2オンに成功、イーグルで優勝を決めた。 尾崎選手のパワーゴルフの始まりだった。

ライバルの年間制覇を止めた日本プロゴルフ選手権2勝目

1971年に初勝利を挙げた尾崎選手は、1971年5勝、1972年9勝とその後も順調に勝ち星を重ね、1973年には5勝を挙げて初代賞金王の座を手に入れた。
しかし、日本プロゴルフ選手権は1972年金井清一選手に2打差の2位、1973年はライバル青木功選手に大差をつけられ6位タイと優勝に手が届かなかった。そして、1974年第42回大会を迎える。この年の青木選手は当時の公式戦を連勝して、このままだと公式戦年間制覇の可能性も出てくる。尾崎選手としても、何とか阻止したい試合だった。
初日は出入りの激しいゴルフながら、ロングホールを全てバーディとして、-5で首位に立つ。青木選手は1打差の3位タイと絶好の位置からスタートした。2日目は前半伸ばしながら、終盤に連続ボギーがくるなど不安な面もあったが、-9までスコアを伸ばし首位をキープ、青木選手も-7と2打差で踏みとどまった。
3日目は7バーディ1ボギーとスコアを伸ばし、2位と5打差をつけて最終日に臨む。青木選手は首位と6打差の4位だった。最終日も順調にスコアを伸ばすが、15番16番と連続ダボで、一瞬ヒヤリとする場面もあった。しかし終わってみれば2位に4打差をつける楽勝でメジャー2勝目を手に入れた。

区切りの通算70勝目

第59回日本プロゴルフ選手権は、1991年8月15日に開催された。この年は尾崎選手もプロゴルファー生活満20年を過ぎ、通算勝ち星も69勝を記録していた。しかし肩の痛みに悩まされ、満足に試合にも出られない状態が続き、優勝にも1年間近く見放されていた。
日本プロゴルフ選手権には1989年にも勝ち、これまで3勝を挙げている。ここで4勝目を挙げ、再出発のきっかけにしたいところだった。
初日首位につけたのは、尾崎直道選手だった。6バーディ1ボギーの-5で飛び出す。尾崎将司選手はイーグルありダブルボギーありの-1で14位タイのスタートだった。
2日目は中堅どころ、森茂則選手が1イーグル7バーディのスコアを出してトータル-7で首位に躍り出た。尾崎将司選手はこの日もダブルボギーをたたくなど波に乗れず、トータルイーブンパーの30位に沈んでいた。 3日目は上位のスコアは伸びず、下位の選手にとっては願ったりの展開になった。トップは-7の森選手で変わらず、尾崎将司選手は-4で8位タイまで上がってくる。
最終日は尾崎将司選手が爆発する。前半4バーディで波に乗るとサンデーバックナインでは5バーディ1イーグルの-11を出し、トータル-15で逆転優勝を飾り、通算70勝を手に入れた。

未踏の日本プロゴルフ選手権6勝

最後の日本プロゴルフ選手権制覇となった1996年の第64回大会では、すでに49歳になっていた。しかし、歳のことは少しも感じさせない。尾崎選手は好調な出だしで、初日から4バーディで回り、トッド・ハミルトン選手と並び首位タイにつける。
2日目も好調で、6バーディで回りトータル-10で首位の座を固めた。2日目にスコアを伸ばした若手が横尾要選手だった。7バーディ2ボギーで回り-8で2位につける。尾崎選手は3日目もボギーなしの5バーディで回り、3日間ノーボギーの-15までスコアを伸ばす。3日目浮上したのは、若手の丸山茂樹選手だった。7バーディノーボギーで回り、-12の3打差まで迫ってきた。
新旧2人の直接対決は、3番ホールで決着がついた。ショートホールで2.5mのチャンスにつけた丸山選手に対して、尾崎選手はOBを打ってしまい、バーディとダブルボギーで並ぶ可能性もあった。しかし尾崎選手はここをボギーで切り抜け、丸山選手はバーディが取れなかったのだ。結局8打差をつけての完勝だった。
通算95勝目、日本プロゴルフ選手権6度目の優勝だった。

海外でも活躍、そして世界ゴルフ殿堂入り

尾崎将司選手はこの年、さらに6勝を積み上げ、年間8勝を達成するとともに、11月に行われたダンロップフェニックストーナメントの優勝で通算100勝目を飾った。翌1997年にも5勝を挙げ、賞金王を獲得する。
尾崎選手は、国内での活躍がすさまじいからか、海外での活躍が印象にない。しかし、マスターズには1972年〜2000年までに19回出場して最高位は8位、全米オープンには1987年〜1999年までに13回出場して最高位6位、全英オープンには1978年〜1995年までに10回出場して最高位10位、全米プロゴルフ選手権には1981年〜2000年までに8回出場して最高位47となっている。ライバルだった青木功選手や中嶋常幸選手と比べても遜色ない。
それでも本人は気にしていたようで、2010年に世界ゴルフ殿堂入りが決まった時にも、日本人4人目というのが気に入らないようだった。先の3人(樋口久子氏、青木功氏、岡本綾子氏)には海外の成績でだいぶ負けているので仕方がないとも言っていた。
2016年、最終戦で途中棄権をした際には、引退を思わせる発言もあったが、2017年も現役続行で固まったようだ。今後も注目したいと思う。