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青木功プロVS尾崎将司プロ、お互いを認め合ったゴルフのライバル選手

2017 3/29 18:48hiiragi
ゴルフ
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出典 http://www.pargolf.co.jp/

どんなスポーツでも、ライバルの存在はお互いのモチベーションを高め、技量を高め、そのスポーツ全体のレベルをも高めてくれる。 ゴルフ界で一時代を築き上げ、お互いをライバルと認めあう、青木功選手と尾崎将司選手を紹介する。

プロゴルファーまでの生い立ち

青木功選手は、1942年千葉県我孫子市生まれ。14歳の頃ゴルフと出会い、キャディからプロゴルファーへの道を歩み始める。1964年のプロテストに合格して、念願のプロゴルファーになった。
尾崎将司選手は、1947年徳島県生まれ。高校時代は有名な野球少年だった。青木選手がプロになった1964年には春の甲子園で優勝、やがてプロ野球の西鉄ライオンズに入団する。しかし野球では大成しないまま退団すると、ゴルフに転向。1970年にはプロテストに合格して、プロゴルファーの道を歩き始める。 5歳差の2人だが、あまりにも違うゴルフとの出会いだった。

青木功選手の記憶に残る実績

青木選手のプロゴルファーとしての初めての試合は、1965年の関東プロゴルフ選手権だった。最初から有望選手だったわけではない。初優勝は1971年の関東プロゴルフ選手権で、プロデビューから6年後のことだ。
しかし、初優勝からは毎年優勝を重ね、1976年に賞金王になると、1978年からは4年連続賞金王に輝く。この間、世界マッチプレー選手権で優勝、全米オープンでのジャック・ニクラウスとの死闘など、海外の試合へも積極的に参加した。
日本ツアー優勝回数51回は尾崎将司選手に次ぐ2位、1983年にはハワイアンオープンにも優勝しており、プロ通算優勝回数は78勝。2004年には世界殿堂入りを果たし、2016年から日本ゴルフツアー機構の会長に就任した。

尾崎将司選手のすごい成績

尾崎選手は、1970年にプロテストに合格すると、1971年の日本プロゴルフ選手権ではもう優勝を飾っている。1972年にはマスターズに出場、2回目の1973年には8位タイと好成績を収める。国内でも勢いは続き、1973年にプロゴルフツアー制度が施行されると初代賞金王になった。
尾崎選手は翌年も賞金王になると、合計12回の賞金王に輝く。他にも日本ゴルフツアー94勝、通算勝ち星113回、国内メジャー優勝20回はすべて最高記録だ。2011年には世界殿堂入りを果たし、2016年も男子レギュラーツアーで戦った。

二人が演じた熾烈な賞金王争い

プロデビューは青木選手の方が5年ほど早かったものの、初優勝は1971年で同じ年だった。1973年には尾崎選手が賞金王を獲得するが、この年の勝利数は、賞金ランク2位の青木選手が日本プロゴルフ選手権などに勝って5勝。尾崎選手は太平洋クラブマスターズなどを制して5勝と、勝利数は同じだった。
1974年は青木選手4勝、尾崎選手6勝だった。以降1982年までの10年間で、尾崎選手が3回、青木選手が5回賞金王を獲得している。 残りの2回は村上隆選手と中島常幸選手が賞金王だったが、尾崎選手、青木選手どちらかが2位に着けていて、二人の突出ぶりがうかがえる。

日本プロゴルフ選手権での直接対決

賞金王対決で火花を散らした二人は、直接対決でも名勝負を見せてくれた。 1974年の日本プロゴルフ選手権は、前年優勝の青木選手が2連覇を狙うとともに、この年の公式戦も2連勝中で、ここで勝てばグランドスラムも見えてくる大事な試合だった。
これに待ったを掛けたのが尾崎選手だ。初日-5の首位でスタートすると、そのまま逃げ切り優勝している。2位は青木選手だったが、4打差をつけられての完敗だった。 以降二人の日本プロゴルフ選手権での好勝負は何度もあり、青木選手は3回、尾崎選手は6回優勝している。

まとめ

ゴルフ界のレジェンド、青木功選手と尾崎将司選手を紹介した。 青木選手は職人気質の技巧派、尾崎選手は豪快なドライバーショットが魅力のオールラウンドプレーヤーだった。 プレースタイルは違ったが、お互いを認め合うライバル同士として一時代を築いた。 いつまでも元気な姿を見せてほしいものだ。

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