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地元のルクレールを襲った悲劇とハミルトンが師に捧げるPP F1モナコGPを振り返る【前編】

2019 5/27 15:24河村大志
ニキ・ラウダに向けての黙とうを行うドライバーたちⒸゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

90周年のモナコGPが開催

「モナコでの優勝は他のサーキットの3勝に値する」

世界三大レースのひとつに数えられるモナコGPは、長い伝統と格式の高さ、そしてF1屈指の難コースであることから、F1の中で特別なレースに位置付けられている。地中海の宝石と呼ばれる美しいモナコだが、モナコGPはガードレールに囲まれ、ランオフエリアがなく、ひとつのミスも許されない過酷なレースである。

1929年にはじまったモナコGPも今年で90周年。例年のように優雅で華麗な週末が今年もやってくると思っていた。5月20日を迎えるまでは。

モナコGP直前に届いたニキ・ラウダの訃報

それは突然の訃報だった。2019年5月20日、3度世界王者となり、多くのドライバーに影響を与えた偉大なチャンピオン、ニキ・ラウダが70歳でこの世を去った。

天性のスピード、マシンに関する豊富な専門知識、高度な交渉術を合わせ持ち、尚且つ勝ち方を心得ていた稀に見る天才だったラウダ。親友であり最大のライバルだったジェームズ・ハントと繰り広げたチャンピオン争い、そして生死の境をさまよった1976年シーズンは伝説として今も語り継がれている。

1975年、1977年にフェラーリで、1984年にマクラーレンでチャンピオンに輝いたラウダは引退後にフェラーリでコンサルタント、ジャガーF1チームの代表を務め、2012年からメルセデスF1の非常勤会長に就任し、メルセデスを常勝軍団へと導いた。

去年に肺の移植手術を行い、復帰に向けてリハビリを続けていた。1976年の火傷によるダメージはずっと残っており、見えないところで苦しんでいたという。

モナコGP前にレジェンドを失ったF1界に大きな悲しみが襲った。特に喜びも悲しみも共有してきたメルセデスチーム、そしてメルセデスへの移籍の進言、様々なアドバイスを受け取っていたハミルトンにとって厳しい週末となったであろう。

ハミルトンはラウダを失った悲しみでプレスカンファレンスに出席することができないほどだった。しかし予選ではラウダのために結果を残すという強い意志が感じられた。

地元ルクレールがまさかのQ1ノックアウト

このモナコに特別な想いで挑むドライバーがもうひとりいた。今年フェラーリに移籍したシャルル・ルクレールだ。ルクレールはモナコ生まれで現在もモナコに住んでいる。まさにモナコはルクレールにとってホームタウングランプリであった。

モナコ人がモナコGPを制したのは1931年のルイ・シロンたった1人で、それ以来達成されていない。久々に現れた地元出身のヒーローに88年ぶりの快挙を期待するファンも多かった。

しかし予選でそのルクレールにまさかの悲劇が。Q1で暫定7番手のタイムを記録したため、チームはQ2進出に十分なタイムであると判断し、ルクレールにピットで待機させた。だが、路面コンディションが良くなり各車自己ベストタイムを更新していったため、0.052秒差でQ1ノックアウトとなってしまったのだ。

ルクレール自身はもう一度タイムを更新した方が良いとチームに報告していたが、チームの判断で待機となり予選16番手(予選15位のアントニオ・ジョビナッツィがグリッド降格のペナルティを受けたためルクレールは15番手からのスタート)が決定した。

ルクレールの晴れ舞台である母国GPで最悪の失敗を犯してしまったフェラーリ。「最悪」と表現した理由はモナコが「抜けない」サーキットであるからだ。

過去のレースで予選上位4名が優勝する確率は100%と、予選での順位が決勝の順位にほぼそのまま反映される。ルクレールはリスク覚悟のドライビングを強いられ、展開が変わるウェットレースにかけるしかない。ルクレールにとって初のフェラーリドライバーとしてのモナコは、今年のフェラーリチームを物語る苦しい結果となってしまった。

ポールポジションはメルセデス勢の争いに

ポールポジションを決めるQ3ではメルセデスの2人がしのぎを削った。開幕戦以外ポールポジションを獲得しているのは、メルセデスのボッタスだが、ボッタスはF1にデビューしてから一度もモナコの表彰台に上がれておらず、相性が良いサーキットとはいえない。

モナコ制覇への指定席であるポールポジションを獲得するため、ボッタスはいきなり去年リカルドがポールポジションを獲得した記録、1分10秒810を大きく上回る1分10秒252を叩き出す。しかし、ラストアタックでボッタスをはじめ各車タイム更新できない中、ハミルトンが渾身のアタックを披露。1分10秒166のコースレコードで逆転のポールポジションを獲得した。

ハミルトンは無線で「言った通りだろ!」と興奮していたが、その後の無線では感極まっていた。アドバイスだけではなく精神的支えになってくれた「ニキ」にどうしてもポールポジションと優勝を捧げたいという想い、プレッシャー、そして達成感からくる安堵、様々な感情がハミルトンから溢れていた。

(後編へつづく)