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愛のフィギュアペア!井上怜奈&ジョン・ボルドウィンの功績

2016 9/29 01:32
スケートリンク ペア
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Photo by Olga Besnard / Shutterstock.com

見どころ満載のフィギアスケートペアについて知りたい方も多いだろう。
今回は、フィギュアスケートのペアで有名な井上怜奈選手とジョン・ボルドウィン選手についてお伝えする。

井上怜奈&ジョン・ボルドウィンのペアスケーティングの競技とは

ペアスケーティングは女性と男性のペアになって滑る競技で、ショートプログラムとフリースケーティングのプログラムだ。重点が置かれる技はリフトやスロージャンプとだが、失敗すると危険な動きが多く、アクロバティックな競技だ。
また、滑走中には男性が女性を持ち上げたり支えたりするなどダイナミックな演技が多く、男性に負担が多いため、日本人にはハードルが高く、全日本フィギュアスケート選手権のペア競技で参加者がいなかった年もあった。そのため、オリンピックを目標にする日本人女性が海外の国籍を取得し、出場を果たす選手もいる。

井上怜奈&ジョン・ボルドウィンについて

井上怜奈選手は兵庫県西宮市出身で、幼少のころは喘息改善の為に4歳でフィギュアスケートを始めたそうだ。1990年の中学生の頃にはペアで世界ジュニア選手権に出場し7位、翌1991年には世界フィギュア選手権に初出場で15位になり、アルベールビルオリンピックの日本代表枠を獲得した。1992年中学3年生だった井上選手はアルベールビルオリンピックに出場し、日本人最高位の14位となった。
その後、ペアの相手がひざの故障でペアを解消し、高校ではシングルスでオリンピックを目指した。リレハンメル五輪には念願の出場を果たしたが、思うような記録を出せず、長野五輪も代表を逃すも、その後再びペア選手となり、2000-2001年シーズンにアメリカへと拠点を移した。
一方、ジョン・ボルドウィン選手はアメリカ合衆国のテキサス州ダラス出身の選手で、なんと2歳の頃からスケートを始めたそうだ。男子シングル選手となり、1986-1987シーズンでは全米選手権ノービスクラスで優勝し、1989-1990シーズンでは世界ジュニアフィギュアスケート選手権で銅メダルを獲得した。
1990-1991シーズンの全米選手権ジュニアクラスでは優勝し、その年はペアも掛け持ちすることもあったが、1999-2000年までシングル選手として活動していた。

井上怜奈&ジョン・ボルドウィンの功績は

2000-2001シーズンより井上怜奈選手とジョン・ボルドウィン選手はペアを組み、2001-2002シーズンでは全米選手権で4位となった。その翌シーズンから2009-2010シーズンの全米選手権では1位から3位の入賞を果たし、四大陸選手権でも2005年-2006年シーズンでは優勝をかざる。
また、2005年にはアメリカ合衆国市民権を獲得し、2005年-2006年シーズンのトリノ五輪ではアメリカ代表として、井上選手は3回目の五輪出場となり、7位入賞という成績を残している。また、井上選手とボルドウィン選手はプライベートでも恋人同士となり、2007年の世界選手権で一度引退発表したが、その後引退を撤回し、翌年の全米選手権で復活。2位という好成績を残した。その演技の終了後に、氷上でボルドウィン選手から井上選手にひざまずいてのプロポーズがあり、「氷上のプロポーズ」と語られ、日本でもCMになるほど話題になった。

まとめ

井上選手は渡米後、なんと肺がんの治療をしながら練習を続けたり、練習中には頭蓋骨を骨折するという大けがを負ったりしたこともある。
それでもスケートを続ける姿に、ボルドウィン選手も胸を打たれたのではないだろうか。現在は引退しているが、お子さんにも恵まれ、家族で幸せな日々を送られている。