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直前の病気でオリンピック代表に届かず、フィギュア村上大介選手の実績

2018 3/13 11:37hiiragi
村上大介
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アメリカ代表から日本代表へと登録国を変更

村上大介選手は1991年生まれ、神奈川県出身。9歳のとき家族とともにアメリカのロサンゼルスに渡り、フィギュアスケートはアメリカでスタート。素質はすぐに開花した。

2004年に全米選手権ノービスクラス(年齢制限によるジュニアに上る前のクラス)で準優勝。トリグラフトロフィー・ノービスクラスで優勝と活躍の場を世界に広げ、2004-2005シーズンにはアメリカ代表としてジュニアグランプリシリーズに出場を果たした。2005-2006シーズンには全米ジュニア・フィギュアスケート選手権で4位に入り、2006年世界ジュニア選手権へ出場する。この大会で優勝した小塚崇彦選手や、女子で2位になった浅田真央選手など、世界で活躍する日本人選手を見て、自分も日本代表として活躍したいと思ったという。

そんな時、浅田真央選手がロサンゼルスにやってきた。村上選手がコーチを受けるラファエル・アルトゥニアン氏から教えを受けるためだ。そこで知り合った浅田選手の母親から日本代表選手として活動するよう勧められ、村上選手は登録国を変更する。

平昌オリンピック代表候補選手として名乗り

登録国変更で1年以上国際大会に出場できなかったが、それは村上選手にとって大きな問題ではなかった。それよりも、はれて日本の選手になれたことが嬉しかったようだ。その間日本の試合に出場して、2007年の全日本ジュニア選手権で5位の成績を残している。2008年からは国際試合も解禁となり、ジュニアグランプリ南アフリカ大会で4位。さらに全日本ジュニア選手権3位、全日本選手権には初出場で5位に入った。

2009年には、エイゴンチャレンジカップのジュニア部門で優勝。シニアでも戦うがNHK杯9位、全日本選手権19位と不本意な成績に終わった。2010年は全日本選手権7位。2011年には東日本選手権優勝、全日本選手権6位と着実に階段を登っていく。2014年になるとクープ・ド・プランタン優勝、USインターナショナル3位と国際大会でも結果を残す。グランプリシリーズのNHK杯では、羽生結弦選手、無良崇人選手を抑えて優勝。2018年平昌オリンピック代表候補選手として名乗りを上げた。

叶わなかったオリンピック代表の座

2015年になるとグランプリシリーズのスケートカナダ、トロフィーエリック・ボンパール(フランス大会)の両大会で3位。初出場のグランプリファイナルでは6位に終わったが、大舞台での演技は大きな経験になったはずだ。しかし、2016年は右足甲の怪我に泣かされる。出場が決まっていたグランプリシリーズには出場できず、全日本選手権の予選となる東日本選手権も途中棄権、全日本選手権への出場も叶わなかった。

平昌オリンピックが行われる2017-2018シーズン、10月末の東日本選手権大会をSP、FSともに1位で終えた村上選手は、再びアクシデントに見舞われる。11月10日から始まるグランプリシリーズのNHK杯を前にして、急性肺炎により欠場に追い込まれてしまったのだ。12月末の全日本選手権では、SPを4位で通過して優勝争いに望みをつないだが、FSは7位で、総合は5位という結果で、オリンピック出場は叶わなかった。

オリンピック予選直前の病気で実力を十分に発揮できなかった村上選手、4年後の大きな夢に向かって挑戦する姿を見守りたい。