初実施の長野から北京まで7大会連続出場
「氷上のチェス」と呼ばれ、15世紀~16世紀の英スコットランドが発祥とされるカーリング。緻密な戦略を練る頭脳と研ぎ澄まされた技術の攻防戦が求められる中、女子日本代表は正式競技として初実施された1998年長野冬季五輪のデビューから、2022年北京冬季五輪まで7大会連続で出場してきた。
2006年トリノ五輪ではチーム青森のメンバーが「カーリング娘」「カー娘」の愛称で全国的な注目を集めて社会現象を巻き起こし、2018年平昌冬季五輪で史上初の銅メダルを獲得した日本代表チーム「LS北見(現ロコ・ソラーレ)」の選手が試合中に親しみのある北海道弁で使った「そだねー」が流行語大賞に選ばれた。試合のハーフタイムに、ピクニックのようにおやつを食べる通称「もぐもぐタイム」も世間の話題をさらった。
日本でカーリングの始まりとされるのは、1936年にガルミッシュ・パルテンキルヘン(ドイツ)で開かれた冬季五輪に参加した選手団が日本にストーンを持ち帰り、長野県の諏訪湖でデモンストレーションを行ったことだという。歴代の「カー娘」たちが、氷上での激闘で残してきた五輪の歴史を振り返る。
1998年長野大会のデビューは選抜チームで5位
1998年の長野五輪はスキップ大久津真由美を中心に1996年に結成された選抜チームで臨み、5位だった。
加藤章子、近藤ゆかり、三村容子、丹羽明美を含めたチームはごく普通のOLや公務員らで構成され、開幕戦で英国に敗れたものの、2戦目でドイツから初勝利を挙げたが、2勝5敗でほろ苦い予選落ち。上位4チームの準決勝に進めず、期待された地元五輪でのメダルに届かなかった。
2002年大会は常呂町の「4人娘」シムソンズで8位
2002年ソルトレークシティー大会は、主将役のスキップ加藤章子を中心に同級生の小笠原(旧姓小野寺)歩と船山(旧姓林)弓枝、年上の小仲美香と組んだ「シムソンズ」が1次リーグ2勝7敗で8位だった。
北海道・オホーツク海に面する「ホタテの町」、常呂町出身の「4人娘」は23~24歳の若さと経験不足を露呈して開幕から7連敗を喫し、8戦目でロシアに1点差で辛くも逃げ切って初勝利を挙げたが、準決勝へ進めなかった。
2006年大会はチーム青森の「カー娘」が一躍人気に
2006年トリノ五輪はチーム青森が「カーリング娘」と呼ばれて一躍人気を集め、1次リーグ4勝5敗で準決勝進出を逃して7位だった。
スキップ小笠原(旧姓小野寺)歩がサード船山(旧姓林)弓枝を誘って北海道から青森県に市職員として活動の場を移し、2人を慕うセカンド本橋麻里やリード目黒萌絵らが加わってチームを結成。強豪のカナダや前回金メダルの英国を破るなど健闘したが、4強の壁は厚かった。
2010年大会は新たな愛称「クリスタル・ジャパン」で8位
チーム青森が2大会連続で出場した2010年バンクーバー五輪はスキップ目黒萌絵、リードの石崎琴美、セカンド本橋麻里、サード近江谷杏菜というチーム構成。代表の新たな愛称「クリスタル・ジャパン」にちなんでクリスタル製のチームマスコットもお披露目されるなど期待されたが、1次リーグ3勝6敗と振るわず8位に終わった。
前回のトリノ五輪後、小笠原(旧姓小野寺)歩に代わる司令塔に目黒萌絵が就き、「マリリン」こと本橋麻里、チーム最年少の近江谷杏菜も加えて1次リーグ突破の目標に挑んだが、及ばなかった。
2014年ソチ大会は母になった元祖「カー娘」復帰で5位と健闘
スキップ小笠原(旧姓小野寺)歩とサード船山(旧姓林)弓枝が北海道銀行に所属して新チームを結成し、ともに母となって8年ぶりに復帰した2014年ソチ大会は1次リーグ4勝5敗の5位と健闘。目標の準決勝には進めなかったが、開会式で日本選手団の旗手も務めた小笠原ら経験豊富な「カーママ」2人が初出場の小野寺佳歩、苫米地美智子、吉田知那美の3人を引っ張った。
参加10チームになった2002年ソルトレークシティー五輪以降で最高順位。終盤にスイス、中国と強敵を破り、4強まであと一歩に迫った。
2018年平昌大会はLS北見が悲願のメダル
2018年平昌大会は本橋麻里が出身地の北海道北見市でチームを創設したLS北見(現ロコ・ソラーレ)が日本勢初の4強入りを遂げた。韓国に7―8で惜敗して決勝進出こそ逃したものの、英国との接戦を制して悲願の表彰台となる歴史的な銅メダルに輝いた。
スキップ藤澤五月、サード吉田知那美、小柄ながらスイープ力に優れるセカンド鈴木夕湖、吉田知の妹で最初にショットを放つリード吉田夕梨花。「カーリングの町」北海道北見市を拠点にコツコツと積み重ねてきた強化が結実した。
2022年北京大会は前回上回る銀メダル
2022年北京五輪は2大会連続出場のロコ・ソラーレが前回を上回る銀メダルに輝いた。1次リーグは5勝4敗で突破し、準決勝でスイスを8―6で破り、初の決勝進出。決勝は英国に3―10で敗れ、初の「金」には届かなかったが、男女を通じて史上最高の成績で終えた。
チーム名「ロコ・ソラーレ」は競技が盛んな北海道の旧常呂町(現北見市)を拠点とし「太陽の常呂っ子」を意味する造語。スキップの藤澤五月と吉田知那美、妹の吉田夕梨花、鈴木夕湖、控えの石崎琴美で臨んだ日本はカーリング発祥の英国に決勝で頂点への挑戦を阻まれたが、金字塔を打ち立てた。
決勝後、藤沢の残した「うれしさ半分、悔しさ半分」という言葉は次回大会への期待も込めて力強い印象を残した。
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