初黒星で「辞めようと思った」
――ボクシングを始めたきっかけは?
伊藤雅雪(以下、伊藤):小学校からバスケをしていたんですが、K-1が好きで格闘技もやりたいと親に言ったら反対されたんで、高校3年までバスケをしていました。バスケはやり切ったんで、10月くらいに、いとこが通ってたジムに見学に行ったのが始まりです。最初はプロライセンスだけ欲しいなと思ってました。
――K-1に憧れていたんですか?
伊藤:魔裟斗さんが好きでした。でも、K-1のジムがなかったんで、ボクシングジムに入ってライセンスだけ欲しいと始めたんで、今は想定外です(笑)。
――ライセンスはいつ頃取ったんですか?
伊藤:1月に取ったんで、入門して3カ月か4カ月ですね。高校生のうちに取るのがかっこいいと思ってたんで、みんなに自慢しました。その4カ月後にはデビューしたんですけど、最初はデビューする気はなかったんです。半ば強制的。やるかと言われて、「いやあ、考えます。でも痛いっすよね?」みたいな感じでした。
――本気でボクシングをやろうと思ったのは?
伊藤:ずっと思ってませんでした。両親は大反対だったし、父からは負けたら辞めろと言われてました。でも、意外に負けなくて、大学4年の時に新人王を獲って、無敗のまま辞めるのもありかなと思ったんです。就職も決まってて、そこに入ったらボクシングはできないと言われたんで。
ちょうどその時、奥さんのお腹に子供ができたんで、仕事はしないといけないと。ボクシングをしながら仕事できるところが見つかったんで、続けることにしました。本心では楽しかったんで、やれる限りやりたいなと思っていました。
ボクシングで生活できたらなあと思い始めたのは、東洋タイトルを獲った頃からですね。それまではサラリーマンをやって、ボクシングの収入もあるからけっこういいなというくらいでした。
――2015年2月の内藤律樹戦で負けた時に辞めなかったのはなぜですか?
伊藤:辞めようと思いました。ただ、ボクシングをちゃんと学んでないという思いがずっとあったんです。一人で練習して、一人で他のジムに行ってスパーリングしてたんで。
その時に(現在のトレーナーである)岡部大介が電話をくれたんです。「もっと強くなるからまだやった方がいいよ」と言われました。嫁さんにも「このままじゃ辞められないんじゃない?」と言われて、確かに辞めたいわけじゃなかったし、東洋挑戦のチャンスをもらえそうだったんで、ラストチャンスと思ってやろうかなと思い、再出発しました。ただ、このままじゃダメだと思って、アメリカに行こうと決心しました。
――内藤に借りを返したいとは思いますか?
伊藤:以前はありましたが、今は横(世界レベル)にいないんで意味のない試合になっちゃう。僕は国内より世界で注目されたい気持ちが強いんで。
計量後は勝負メシのうな重
――本名の「雅之」からリングネームを「雅雪」に変えたのは?
伊藤:プロ2戦目の1週間前に交通事故に遭ったんです。原付を運転中に居眠り運転の車にはねられて入院しました。左手の骨が飛び出て、もうボクシングはできないと言われて、その後8年くらいは痛みが取れずに悩まされました。
その時にジムの先代の会長から「お前は右手だけで戦えるからジムに来い」と言われて、リングネームを変えることになったんです。自分で10個くらい案を考えたんですけど、次の日に僕の案は全部スルーされて「雅雪」になりました。きれいだからいいだろと。
――ゲン担ぎはする方ですか?
伊藤:計量の後に鰻を食べます。勝負メシみたいな感じで、うな重を。
――アメリカでの世界戦の時も食べたんですか?
伊藤:母親に真空パックで持ってきてもらいました。ここまでくると意地ですよ。
――店も決まってるんですか?
伊藤:店は決めてません。12月30日だとやってない店もあるし(笑)。
――ご家族(夫人と2女)の存在は大きいですか?
伊藤:責任が生まれますからね。家族のためにお金を稼がないといけないし、家族があってこそ仕事ができてます。なかったらこんなに頑張れないです。
――奥さんは心配だと思いますが、次負けたら辞めるとか話すことはないですか?
伊藤:僕はあんまりボクシングに固執してないんです。以前は負けたら終わりって思ってたけど、今は負けても価値を出せるボクサーになりたいというのが一番です。だから世界チャンピオンであり続けることに固執してないし、アメリカはパッキャオのように価値があればリングに上がれるんで、あっちで需要がなくなって、僕もここまでと思えば辞めます。小さな舞台で頑張っていこうとは考えてません。
ボクシングはエンターテイメントなんで、それを提供できなければプロとしてどうかなと思うし、それを提供できていればアメリカでも認められます。認められなくなったら僕の賞味期限が切れたということです。
――ファンを楽しませてなんぼだと?
伊藤:絶対そうだと思います。倒すだけじゃなくて、気持ちも伝わると思うんで、そういう試合をしていきたいです。
――これを聞くのは早いかも知れませんが、引退後のプランはあるんですか?
伊藤:最近、犬を飼い始めたんで、ドッグカフェもいいなと思いました。元々、猫2匹とブタがいるんですけど。
――動物が好きなんですか?
伊藤:好きですね。でも、ブタは大変です。マイクロブタという10kgくらいの小さなブタなんですが、食欲がすごいんです。普段は家で放し飼いですけど、トイレもちゃんとするし、何を言ってるか理解した上で嫌なことをするんです(笑)。犬や猫より頭いいと思います。
――動物に囲まれた生活をしたいと?
伊藤:そうですね。元々飽き性なんで、その時にいいなと思ったことをやれたら幸せだと思います。ボクシングへの情熱があったらジムを経営するかも知れないし。その時にワクワクできることをやりたいです。
「ライト級に上げて戦いたい」
――2度目の防衛戦(5月に米国でジャメル・へリングと予定)に向けて取り組んでいることはあるんですか?
伊藤:左アッパーですね。日本人は得意じゃないから。4月からロスに行ってトレーニングする予定です。
――今後も主戦場はアメリカで考えてるんですか?
伊藤:どちらでもいいんですが、ビッグファイトはアメリカでしかできませんからね。でも、昨年末の試合で日本でやる意味も感じたんで、日本でも試合をできたら嬉しいです。
――戦ってみたい相手は?
伊藤:ロマチェンコとやりたいです。日本人がロマチェンコとやるなんて夢のような話。ロマチェンコは(強すぎて)相手がいないし、僕も体が大きくて普段は69kgあるんで、ライト級に上げて戦いたいです。すごい厳しい試合になると思うけど、価値を感じます。※
――日本人ボクサーで憧れは?
伊藤:内山高志さん(元WBA世界スーパーフェザー級王者)はスパーしてもらった時に感動しました。同じスーパーフェザー級でチャンピオンになったのも運命を感じます。尊敬している先輩ですね。
世界チャンピオンになる方は素晴らしい方ばかり。長谷川穂積さん(元世界3階級王者)や山中慎介さん(元WBCバンタム級王者)もかっこいいし、僕も名前の残るチャンピオンになりたいです。そして、日本人が届かなかったところに行きたいです。
――期待しています。まずは次の防衛戦に向けて頑張ってください。
伊藤:ありがとうございます。応援よろしくお願いします!
※ワシル・ロマチェンコ…ウクライナ出身。北京五輪、ロンドン五輪で金メダルを獲得後、プロ転向。WBOフェザー級、WBOスーパーフェザー級に続き、2018年5月にWBAライト級王座も獲得して世界最速12戦目で3階級制覇。スーパーフェザー級のリミットは58.9kg、ライト級は61.2kg。
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