「世界での価値を感じたい」
――チャンピオンになって初防衛戦もクリアしましたが、生活は変わりましたか?
伊藤雅雪(以下、伊藤):人付き合いが増えました。東洋チャンピオンの頃も応援してくださる方は多かったんですが、世界チャンピオンになるといろいろな面で変わりました。ファイトマネーの桁も違うし、皆さんがチャンピオンとして扱いをしてくださることが増えました。嬉しい半面、もっと頑張らないといけないと思います。
――想像していたチャンピオンのイメージと、実際にチャンピオンになってからのギャップはありますか?
伊藤:全然違います。世界チャンピオンは僕の中で終点だったので、その先は考えてませんでした。凄い存在だと思っていましたけど、実際になったらまだまだ弱いし、人としてもいろんな面で未熟だと感じます。やりがいは感じますが、誰よりも強いとは思えないですね。
――あれほどの試合をしても?
伊藤:まだまだ強い選手はいっぱいいます。1試合1試合、勝っていくことで自信がついていくと思うけど、まだチャンピオンとして未熟だなと思います。
――どういうときにそう感じますか?
伊藤:練習していても、センスあるなという選手はいっぱいいます。チャンピオンとの差なんて紙一重。もっと実力をつけないと自分の目指すところにはいけないと思います。
――目指すところとは?
伊藤:日本人が届かなかったところに行きたいですね。日本人でパッキャオとかメイウエザーのような(世界的に有名な)ボクサーはいません。伊藤雅雪というボクサーに対する世界での価値を感じたいです。
――防衛回数などの数字的な目標はあるんですか?
伊藤:それはないです。あるとしたら1試合で1億円稼げるようなボクサーになりたいです。お金が欲しいとかじゃなくて、日本人がこれだけもらうのかというところを目指したいんです。
――日本国内の試合で1億円を超えたのは辰吉―薬師寺戦が有名です。
伊藤:今の時代、日本では出ないでしょう。アメリカでは勝ち続けていけばパッキャオみたいになれるという夢があります。
――スーパーフェザー級といえば、過去に柴田国明や小林弘、沼田義明、畑山隆則、粟生隆寛、内山高志ら名だたる日本人チャンピオンがいます。そのタイトルをアメリカで取ったのは本当に値打ちがあると思います。
伊藤:自分ではもってるタイプだと思ってるんです、運みたいなものを。もう5年くらいアメリカでトレーニングしているのもあって、37年ぶりということにも運命を感じます。必然だったのかなと思いますね。
――顔立ちがデラホーヤ(元世界6階級王者)に似てると言われたことはありませんか?
伊藤:ハハハ。言われたことはあります。凄くかっこいいですよね。
――デラホーヤも最初のタイトルはWBOスーパーフェザー級でした。
伊藤:そうですよね。デラホーヤとチャベスの試合を観て勉強しろと言われて、映像を見たことがありますが、めちゃくちゃいいジャブを打ちますね。打ち方もきれいだし、あのボクシングは好きです。ジャブだけで倒せるような、ああいう試合をしたいです。
――「和製デラホーヤ」というニックネームがしっくりきます。
伊藤:じゃあ、日本のあだ名はそれでいきましょう。「和製デラホーヤ」と言われるのは嫌じゃないですよ。
部屋で号泣した世界戦前夜
――アメリカでのトレーニングはどれくらいの期間やるんですか?
伊藤:1カ月から1カ月半くらいです。
――試合直前までですか?
伊藤:試合の10日前くらいに日本に帰って最終調整ですね。最近はチームのみんなで一緒に帰ってきます。世界を獲った試合(昨年7月28日、ディアスに大差判定勝ち)は1カ月半くらい前からアメリカに行って、そのままあっちで世界戦でした。
――ということは、それほどアウェー感はなかったんですか?
伊藤:街中(フロリダ州キシミー)に試合のポストカードが置いてあったり、旗が掲げてあったり、街をあげて盛り上がってました。会場は(相手と同じ)プエルトリコ人ばかりだったし、メディアの対応もアウェーでした。気にしてないと言うと嘘になるけど、アメリカには慣れてたので、あまり気になりませんでした。
――それまでと違う、世界戦特有の緊張感はありましたか?
伊藤:全然違いました。練習は鬱みたいな状態で100%やってきて、ここで全てが終わるという気持ちでした。全て置いてくるつもりでやっていたので。やるだけやって、勝つか負けるかは運もあると思えてからは楽になりました。そこからは日本人がアメリカで世界戦をやるチャンスはなかなかないので楽しもうという気持ちの方が強くなりました。
――そう思えたのは何日前ですか?
伊藤:試合の2時間前くらいです(笑)。試合前日の計量の後に家族が来てくれて、みんなで過ごして試合のことを考えないようにしたんですが、その後、一人で考えなさいという時間をトレーナーがつくってくれたんで、ホテルに一人で戻って感極まって号泣しました。
――号泣とは、どういう感情だったんですか?
伊藤:全部終わっちゃうみたいな。それまで9年間、人生をかけて戦ってきたけど、強い相手だと分かってたんで、勝つ自信は20%くらいでした。世界戦のチャンスなんていつ来るか分からないし、ラストチャンスだと思ってたんで、負けたら別の人生を考えないといけないし、そう考えると感極まりました。ずっとやってきたことがここで終わるんだと思うと。
――負けを覚悟してたということですか?
伊藤:覚悟とは違うけど、アメリカで37年も獲れてないし、厳しい試合になることは間違いないと思ってたんで。何カ月もやってきたことがその日で終わると思うと怖かったんです。相手が怖いとか、殴られるのが怖いんじゃくて、結果を知ることが怖い。吹っ切れてからは楽しんだもの勝ちだなと思えるようになりました。
――それが2時間前?
伊藤:そうですね。会場に入る時ですね。切り替えができたのは。
税関で止められた初のLA
――そもそもアメリカでトレーニングするようになったきっかけは?
伊藤:ジムの仲の良い先輩がロサンゼルスで会社をやっていて、僕が新人王トーナメントに出ていた時、もし新人王を獲ったら、アメリカでレオ・サンタ・クルス(世界3階級王者)とスパーリングさせてあげると言われてたんです。新人王を獲って1カ月後くらいに「伊藤くん行こうか」と言われて、一緒に行くのかと思ったら僕一人でした。
――英語は話せたんですか?
伊藤:全然(笑)。最初は税関すら出られませんでした。出口に日本人が迎えに来てると聞いてたんで、税関で住所を書けと言われたけど泊まる所が分からないし、電話しろって言われたけど充電が切れてて。英語で何を言ってるか分からないし、1時間くらい足止めされました。
たまたま通った日本人が英語で話してくれて、どうにか出してくれたんですけど、迎えの日本人がいなかったんで、充電器を買って充電して日本に電話かけて、やっとつながったと思ったらセッティングを忘れられてたんです。夜11時くらいにレンタカーを借りに行って、ズタボロでした。当時大学生で、ハワイ以外アメリカは初めてだったんで、ロサンゼルスちょー怖えなという感じでした(笑)。
――そんな人がアメリカで世界を獲るなんて分からないものですね?
伊藤:いい勉強をさせてもらいました。
――今は英語は大丈夫なんですか?
伊藤:流暢ではないですけど、何を言ってるかは大体分かります。毎日10分くらい単語帳を見ます。
――サンタ・クルスとのスパーは?
伊藤:当時もう世界チャンピオンになってたんですけど、けっこうボコボコにして、意外にアメリカって近いなと思いました。ロスって想像つかない場所でしたけど、同じ人間じゃんという感覚を持ったんです。
その後、しばらく行ってなかったんですけど、初めて負けた時(2015年2月9日、内藤律樹に判定負け)にもっと強くなりたいと思って再び行き始めました。そこからほぼずっとアメリカですね。トレーナーのルディ・エルナンデスと岡部大介の2人に練習を見てもらったらガラッとボクシングが良くなったんです。自分は全然ボクシングを分かってなかったなと感じました。それからは家族のような付き合いです。彼らがいたからやってこれました。
――教えで一番大事にしてることは何でしょうか?
伊藤:ジャブから教わったんで、僕のボクシングのほとんどですね。左フックの打ち方から、接近戦での頭の動かし方とか。それまで感覚だけで戦ってたけど、ボクシングを将棋のように捉えられるようになってきました。駆け引きを楽しめるようになってきたのは最近です。
――まだまだ伸びしろがありそうですね?
伊藤:できないことがたくさんあるし、もっと強くなれると思います。
伊藤 雅雪(いとう・まさゆき)1991年1月19日、東京都江東区出身。駒大高時代はバスケットボール部に所属。部活を引退後ジムに通い始め、駒大在学中にプロデビュー。2015年8月、東洋太平洋スーパーフェザー級王座獲得。2018年7月にWBO世界スーパーフェザー級王座を獲得し、同年12月に初防衛。通算戦績25勝(13KO)1敗1分け。
〜 ボクシング・伊藤雅雪インタビュー②「ロマチェンコとやりたい」に続く