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【ボクシングWBA世界ミドル級防衛戦】初防衛を目指す世界王者村田諒太

2018 3/29 11:53hiiragi
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Ⓒゲッティイメージズ

現役引退から復帰してつかんだロンドンオリンピック出場権

2018年4月15日、32歳で初の防衛戦を迎える村田諒太が、WBA世界ミドル級タイトルを獲得したのは前年、31歳の時だった。ボクサーとして決して若くはない遅咲きのチャンピオンである。

村田は中学時代にボクシングを始め、高校時代に5冠を達成する。東洋大学に進学後の2004年には全日本選手権で優勝を飾った。
目標を2008年の北京オリンピックにおいて、出場権獲得を目指したが叶わず、一度は現役を引退する。
しかし、ボクシングから離れることはできず、母校東洋大学で職員として働きながら、同校ボクシング部でコーチを続けた。

村田が再びリングに戻るきっかけとなったのは、自身の気持ちではなく他人の為だった。東洋大学ボクシング部の元部員の不祥事が発覚し、活動を自粛することになったのだ。
意気消沈する部員を見て、なんとかしたいと思った村田は、現役に戻ってボクシング部を引っ張ることにした。
現役復帰後は2011年インドネシア・プレジデントカップで優勝を飾ると、世界アマチュアボクシング選手権で銀メダルを獲得する。その成績が認められ、憧れだったオリンピック出場権を獲得したのだ。

ロンドンオリンピックで金メダル獲得からプロに転向

世界ランキング2位の村田には、当然のように金メダル獲得の期待がかかっていた。
オリンピックでの金メダル獲得は東京オリンピックの桜井孝雄以来、48年間なされていなかったからだ。

ミドル級の村田は順当に勝ち進み、迎えた準決勝。2ラウンドを終わって3ポイント差の劣勢から、最終ラウンドで逆転して13-12の際どい勝利で決勝に駒を進めた(オリンピックのボクシングは1ラウンド3分の3ラウンド制で行われる)。

決勝も際どい戦いになった。2ラウンドを終わって1ポイントリードして迎えた最終ラウンドは、正に死闘といえる打ち合いになったが、14-13と僅差で逃げ切った。
金メダルを獲得した直後の村田は指導者を目指していたため、明確なプロ転向への希望はなかった。
しかし、ボクシング界からのラブコールは収まらず2013年4月プロ転向を表明。子供の頃に夢みた世界チャンピオンへの道を歩み始めた。

因縁の再戦からつかんだミドル級世界王者の座

プロデビュー戦は2013年8月25日、有明コロシアムで行われた。対戦相手は東洋太平洋ミドル級王者、柴田明雄だ。
デビュー戦にしていきなり強敵との対戦を迎えたのだが、初回にダウンを奪うと2回は一方的な展開となり、TKOで勝利を収めた。
以降2016年までに12試合を行い、12勝(9KO)無敗の成績でWBA世界ランキング2位まで上昇、1位のアッサン・エンダムとの王座決定戦が組まれた。

2017年5月20日有明コロシアムで行われたこの試合は、4回にダウンを奪った村田が優勢に試合を進めたかに見えたが、判定は2-1でエンダムの勝利。村田の世界タイトル獲得はならなかった。
しかし、この判定にはWBA会長が誤りを認め再戦を指示、村田選手を負けとしたジャッジ2名には6か月の資格停止処分というおまけまで付いた。

2017年10月22日、両国国技館で行われたWBAミドル級タイトルマッチは、因縁の再戦として日本中の注目を集めた。試合は7回の村田の猛攻に耐えきれなかったエンダム陣営が、8回の開始前に棄権を告げて勝負はついた。
オリンピックの金メダリストが世界王座につくのは日本では初めて、ミドル級世界王者は竹原慎二以来2人目という快挙だった。初防衛戦は同級10位エマヌエーレ・ブランダムラ(38歳・イタリア)と4月15日に横浜アリーナで行われる。