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偉大なるヘビー級王者ジョージ・フォアマンが20年間苦しみ続けた「キンシャサの悪夢」

2025 7/9 07:00SPAIA編集部
ジョージ・フォアマン,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

半生描いた映画「~45歳のヘビー級チャンピオン」が話題

プロボクシングの元世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンが3月21日に76歳で亡くなり、その半生を描いた映画「ジョージ・フォアマン 45歳のヘビー級チャンピオン」が話題になっている。日本では劇場公開されていないが、動画配信で反響を呼んでいるという。

一度は引退してキリスト教の牧師に転身したが、10年後に復帰して45歳9カ月で再びヘビー級のベルトを巻いた名王者。ボクシング人生のハイライトは1994年11月のマイケル・モーラー戦だが、全ては1974年10月のモハメド・アリ戦を抜きにしては語れない。

ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで行われたことから「キンシャサの奇跡」と呼ばれる歴史的一戦。フォアマンの人生に多大な影響を与えた世界ヘビー級タイトルマッチを改めて振り返ってみたい。

「象をも倒す」強打で40連勝37KOのフォアマン

1949年にテキサス州マーシャルの貧しい家庭で生まれたフォアマンはボクシングで類まれな才能を発揮。1968年メキシコシティーオリンピックのヘビー級で金メダルを獲得し、プロに転向した。

デビュー後は連勝街道をばく進し、1973年1月にジャマイカで当時29戦全勝(25KO)だった無敗の世界ヘビー級王者ジョー・フレージャーに挑戦。計6度のダウンを奪い、衝撃の2回TKO勝ちで王座に就いた。

さらに1973年9月には東京・日本武道館でジョー・キング・ローマン(プエルトリコ)と対戦し、1回2分KO勝ちで初防衛。日本で初めて行われた世界ヘビー級タイトルマッチは、たった120秒で終わった。

2度目の防衛戦は1974年3月、ベネズエラでケン・ノートンに2回TKO勝ち。戦績を40戦全勝(37KO)に伸ばし、その強打は「象をも倒す」と恐れられた。

徴兵拒否でブランク作ったアリ

一方、1942年生まれのモハメド・アリは1960年ローマオリンピックのライトヘビー級で金メダルを獲得し、プロ転向。1964年2月にソニー・リストンを倒して22歳で世界ヘビー級王者となった。

その後も「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と例えられたスピードあふれるボクシングで9度防衛。しかし、当時泥沼化していたベトナム戦争がアリの輝かしいボクシングキャリアに影を落とす。

「俺にベトナム人を殺す理由はない」と徴兵を拒否したため世界ヘビー級王座とボクシングライセンスを剥奪され、有罪判決を受けたのだ。25歳から28歳というボクサーとして最も脂の乗る時期にブランクを余儀なくされた。

世論の高まりもあってリング復帰を認められたアリは1970年10月に3年7カ月ぶりの勝利を挙げたが、ブランクの影響は小さくなかった。1971年3月、世界ヘビー級王者ジョー・フレージャーに挑んだものの15回判定負け。32戦目でプロ初黒星を喫した。

1973年3月にはケン・ノートンにも判定負け。その後、ノートンとフレージャーに判定で雪辱し、ようやく決まったのがフォアマン挑戦だった。

「ロープ・ア・ドープ」で屈辱のKO負け

1974年10月30日、灼熱のアフリカにその舞台は用意された。

飛ぶ鳥を落とす勢いのフォアマンは25歳。全盛期を過ぎたアリは32歳。アリが再戦で判定勝ちしたフレージャーとノートンをフォアマンは完膚なきまでに叩き潰している。戦前の予想はフォアマン有利。アリは初のKO負けで引退するのではと予想する声まであった。

試合は予想通り、フォアマンが自慢の強打で前進。アリは何度もロープに詰まりながらガードを固めて応戦する。しかし、中盤を過ぎ、攻めあぐねるフォアマンが打ち疲れの兆候を露呈。奇跡が起きたのは8回だった。

コーナーに詰まったアリはフォアマンの一瞬の隙をついて態勢を入れ替え、右ストレートを顎に命中。フォアマンは前のめりに倒れそうになりながら半回転して仰向けに倒れた。「象をも倒す」と恐れられた男が、まさに巨象が倒れるような痛烈なダウンを喫し、人生初めてのテンカウントを聞いた。

スタミナを削ぎ落とすためガードを固めてわざとロープに詰まる「ロープ・ア・ドープ」と呼ばれたアリの巧妙なワナ。挫折を知らない25歳の若者は、百戦錬磨の「ザ・グレイテスト」の術中にまんまとハマった。アリのボクシング人生のハイライトは、フォアマンにとっては生涯忘れらない屈辱の日となったのだ。

41戦目の初黒星から3年後、格下のジミー・ヤングに敗れたフォアマンは試合後の控室で「神を見た」とキリスト教に目覚め、ボクシングを引退。牧師に転身した。

その後、38歳だった1987年3月に現役復帰し、1994年11月に45歳で世界ヘビー級王座を獲得。「キンシャサの悪夢」から20年が経っていた。

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