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日本ボクシング界のカリスマ・鬼塚勝也の功績をチェックしよう!

2017 1/30 21:11
ボクシンググローブ@Shutterstock.com
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【鬼塚勝也の功績3】タイ・アメリカで武者修行を重ねてレベルアップ

日本のボクシングファンには、鬼塚勝也は天才肌ではなく「努力型」のボクサーであると認識されている。フィジカルに恵まれたわけではないことを認識している彼は、腕が上がらなくなるまでミット打ちをして、立てなくなるまでスパーリングする。そんな日々を繰り返して鋼鉄の体を手に入れた。
あくなき探究心はプロデビュー後も止まるところを知らず、タイトルを獲得する前から海外に武者修業に出掛けたりもしている。タイに行った時には当時最強と呼ばれたタノムサクの試合を見て、アメリカに行けばIBF王者であるカニザレスとスパーリングをしたりと、彼の研究熱心な姿勢は、それぞれの所属ジムがきちんと管理するのが一般的なボクシング界において異彩を放っていた。

【鬼塚勝也の功績4】高い壁を乗り越えて獲得した世界タイトル

1992年、鬼塚勝也はWBA世界スーパーフライ級でランキング1位にランクイン。王者であるカオサイ・ギャラクシーが現役引退を発表してタイトルを返上したことで王座決定戦が開催されることに。対戦相手はかつてタイの武者修行で試合を見たこともある同級2位のタノムサク・シスボーベー。
それまでの戦績だけで言えば、世論が18戦無敗の鬼塚の勝利を期待するのも当然のことだが、鬼塚本人はタノムサクのボクサーとしての高いスキルを見抜いており、本人の予想通り「厳しい戦い」となった。序盤から鬼塚のパンチはかわされ、タノムサクのパンチを受けてしまう場面が続く。
しかし、7ラウンドにコンビネーションパンチがタノムサクを捉えて鬼塚が反撃開始。後半盛り返した印象を持ってフルラウンドを消化。勝敗は判定にもつれこむが、僅差で鬼塚が勝利を収め、世界の頂点に立った。

【鬼塚勝也の功績5】批判をやめないマスコミを黙らせたベストバウト

僅差の判定でタノムサクに勝利したものの、当時のマスコミの反応は好意的とは言えず批判も多かった中で、鬼塚は反論することもなく次戦に向けての準備を始める。王座獲得から5ヶ月の1992年9月に松村謙一を撃破して初防衛。続いて同年12月にランキング1位のアルマンド・カストロ(メキシコ)と対戦する。
1ラウンドから攻め立てるカストロの攻撃に鬼塚の足元がぐらつく不安な立ち上がりを見せる。しかし、2ラウンドになると鬼塚が前に出て効果的にカストロにパンチを当てていく。ここから一気に形勢逆転、最後までカストロは倒れなかったが、鬼塚が判定勝ちを収めた。互いに打ち合ったこの一戦は、鬼塚勝也のベストバウトとも言われている。

まとめ

その後も林在新、李承九(ともに韓国)、再戦となったタノムサクを破り5度の防衛を達成。 現役引退後は、勝利至上主義ではないボクシングジムを開いたり、アーティストとして活動したりと、多岐にわたって活躍している。 彼自身のストイックな戦いぶりはファンの心を動かすものがあり、「カリスマ」としてその名を世に知らしめた。間違いなく、後世に語り継がれるべきボクサーの1人だ。

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