東京五輪ボクシングフライ級銅メダリスト
今年8月の東京オリンピックのボクシング競技フライ級で61年ぶりの銅メダルを獲得した田中亮明がSPAIAの取材に応じた。岐阜県中京高校で教員として教鞭を振るいながら、選手として二足の草鞋でオリンピックを目指したことなど、これまでのボクサー人生や今後について語った。
3回連載の第3回は、オリンピック後の生活やこれからの目標について。今回の取材は、共に中京高校でボクシング部の指導にあたり、日頃身近に接している筆者(近藤広貴)が行った。
今年8月の東京オリンピックのボクシング競技フライ級で61年ぶりの銅メダルを獲得した田中亮明がSPAIAの取材に応じた。岐阜県中京高校で教員として教鞭を振るいながら、選手として二足の草鞋でオリンピックを目指したことなど、これまでのボクサー人生や今後について語った。
3回連載の第3回は、オリンピック後の生活やこれからの目標について。今回の取材は、共に中京高校でボクシング部の指導にあたり、日頃身近に接している筆者(近藤広貴)が行った。
――東京オリンピックで銅メダルを獲得する前と後では学校での生徒の反応とか、生活とか周りの目とか変わった?
田中亮明(以下、田中):生徒からは写真撮ってくださいとか、オリンピックが終わってからは、学校内を歩いていると声かけられることは増えましたね。
――街を歩いてて声かけられるとかは?
田中:地元(岐阜県多治見市)とかは、僕の顔写真が載ってるポスターとかのぼりとかをたくさん掲げて応援してくれていたので、地元だといろんな方に声をかけられるようになりましたね。
あとは、オリンピックが終わってから地域の小中学校への講演など色々と忙しくはなりましたけど、そんなに劇的には変わったとは感じないですね。それに、正直周りの目とか、反応とかそんなに気にしてないので。
――さすが!
田中:なので、感覚的にはそんな変わんないんですね。遊びたい時に遊びに行きますし、あんま気にしてないですね。正直。
――現在プロで活躍している弟の恒成との関係はオリンピック後に変化あった?
田中:そこも、特に変わらないですね。
――今後どうしようと思ってるの?東京オリンピックが終わって現役引退って言ってたけど、銅メダルを獲得できてプロになろうと思ったことなかった?
田中:プロに行こうとは思わないですね。
――じゃあ、アマチュアでボクシングを続けようって思うことは?今年のボクシング世界選手権で同じ日本代表選手として戦ってきた選手たちが日本人初の金メダルを2つ取ったけど。
田中:実は、2016年のリオデジャネイロオリンピック逃した時、一時的に練習してなかった時期があって、引退を考えていた時期があったんですよ。ちょうどその時は、スーパー高校生と言われていた堤駿斗君(現東洋大学所属)が出てきた時で。
その時、この選手と試合してみたいなって思って。それも、復帰しようと思った一個のきっかけだったんですよ。彼と試合してみたいなって。
――だから2017年は1階級上げてバンタム級で試合に出てたんだ。
田中:そうなんですよ。だから今後もし、日本で負けたことがないスーパールーキーが出てきたなら、やりたいなって思うかもきっかけになるかもしれませんね。
ただ、今の個人的な目標としては、特にないですね。けど、お金持ちにはなりたいなって思います(笑)。選手として関係なく。ボクシングに限らず、これからも色々なことに挑戦したいなって思ってますね。
――例えば?
田中:何かはわかんないですね。これからです。高校でボクシングを教える監督としては、僕自信、高校生の時にインターハイ(全国高校総体)でチャンピオンになれなかったので、インターハイのチャンピオンを育てたいなって思ってます。
――共に頑張ろう!インタビューありがとうございました。
田中亮明(たなか・りょうめい)1993年10月13日。岐阜県多治見市出身。幼少期より空手を始め、12歳からボクシングを始める。中京高等学校在学中に全国高校総体準優勝、駒澤大学4年時に全日本選手権優勝。大学卒業後母校の教員としてオリンピックを目指し、2021年に行われた東京オリンピックで日本人フライ級61年ぶりの銅メダルを獲得。2歳下の弟・恒成はプロボクシングで3階級制覇。
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