背番号33を永久欠番にしているチームは多数
NBAにおいて、背番号33は大きな重みを持つ番号だ。というのも、NBAの全チームの中で、この番号を永久欠番にしているチームが7チームもあるのだ。それだけ特別な番号であり、この番号をつけている選手は、特別な選手であることも多い。
シカゴ・ブルズ
ニューヨーク・ニックス
フェニックス・サンズ
ボストン・セルティックス
マイアミ・ヒート
ミルキーウォー・バックス
ロサンゼルス・レイカーズ
背番号33を希望していたのに、着けられなかったという選手もいる。有名な選手でいうと、マジック・ジョンソン氏は、レイカーズ入団時に背番号33を希望していたが、永久欠番であったために1つ小さい32番を着用したそうだ。
背番号33を伝説的番号にしたカリーム・アブドゥル=ジャバー
背番号33を伝説たらしめたのが、カリーム・アブドゥル=ジャバー氏だ。1969年~89年まで20年間もNBAの第一線で活躍し、数々の偉業を打ち立てた選手だ。NBA史上最高の選手はだれかという議論では、未だに真っ先に名前の挙がる選手である。
キャリア20年でチームをファイナル優勝に導くこと6度、ファイナルMVPも2度獲得した。特に75年にレイカーズへ移籍して以降、79年にはマジックジョンソンが入団すると、チームはそこからの11年で5度の優勝とファイナル優勝を果たしている。
シーズンでは歴代2位となる1,560試合に出場し、歴代1位となる通算得点38,387を記録。さらにリバウンド17,440は歴代3位、アシスト5,660も歴代1位である。バスケットプレーヤーとして必要なものをすべて兼ね備えていた。1995年にバスケットボール殿堂入りを果たしている。
スカイフックに支えられた圧倒的な得点力
彼の高い得点力は、「スカイフック」という技に支えられていた。通常フックシュートというのは、ボールを片手に乗せたまま放つショットである。片手で打つために相手ディフェンスの裏をかきやすく、ボールも放物線を描いてゴールに向かうため、ブロックされにくい。
しかし、ジャバー氏のフックショットは、高くジャンプして、片手をゴールよりも高い位置に上げてからシュートを放つ。バスケではシュートされたボールがゴールリングよりも高い位置にあると、これに触れると反則になる。つまり1度のこのシュートの体勢に入れば、ブロック不可能な無敵のショットになる。さらにカリーム氏はこのスカイフックを右手でも左手でも高い精度でくり出すことができた。その結果がNBA史上No.1の得点数を生んだのである。
他のチームにもにも名選手が多数!
ほかにも背番号33を着けた名選手はたくさんいる。例えば、シカゴ・ブルズ6度の優勝に貢献したスコッティ・ピッペン氏だ。高い決定力に的確なアシスト、そしてディフェンスでも超一流の技術をもっていた、90年代を代表するスモールフォワードである。ブルズでは91年~93年、96~98年と2度のスリーピート(3連覇)に大きく貢献した。
またパトリック・ユーイング氏も、背番号33を着けた代表的な選手だ。攻守ともに優れた選手で、キャリアのほとんどをニューヨーク・ニックスで過ごしたため、通算得点やリバウンド、スティール、ブロックなどでチーム記録を打ち立てている。
伝説的な選手たちによって育てられた番号
他にもサンズ一筋で13シーズンを過ごしたアルバン・アダムス氏、スリーポイントコンテストで3連覇を達成したセルティックスの伝説的シューティングフォワードのラリー・バード氏、208cm、123kgの体格を生かした守備で活躍したアロンゾ・モーニング氏などなど。彼らの所属していたチームでは、33番が永久欠番になっている。
彼らの中には、カリーム氏にあこがれて33番をつけたという選手もいるだろう。そして、そういった選手たちが活躍すれば、さらにその選手にあこがれた選手たちがまた33番を希望する。そうして33番という番号が育っていったのだ。