オリンピック8回出場の男子日本代表
バスケットボール男子日本代表がオリンピックに初出場したのは正式競技に採用された1936年ベルリン大会だった。以降、2024年パリオリンピックまで8回出場。成績は以下の通りとなっている。
バスケットボール男子日本代表がオリンピックに初出場したのは正式競技に採用された1936年ベルリン大会だった。以降、2024年パリオリンピックまで8回出場。成績は以下の通りとなっている。
ベルリン大会当時はトーナメント方式で行われ、日本は1回戦で中華民国、2回戦でポーランドに勝ったものの、3回戦でメキシコに敗退。ベスト8入りを逃した。優勝はアメリカ、2位はカナダ、3位はメキシコだった。
4年後の1940年に予定されていた東京オリンピックは、日中戦争が激化したため開催を返上。2回目の出場は1956年のメルボルン大会だった。20年ぶりの大舞台だったが、1次リーグでアメリカ、フィリピンに敗れ、タイには勝ったものの、1勝2敗で順位決定戦に回って10位。金メダルはアメリカ、銀はソビエト連邦、銅はウルグアイだった。
続く1960年のローマ大会は4年後の自国開催を見据えて学生も代表入りさせたが、ハンガリー、アメリカ、イタリア、フランス、メキシコ、スペイン、プエルトリコに7連敗。棄権したブルガリアが最下位となり、日本は下から2番目の15位に終わった。
迎えた1964年東京オリンピック。3大会連続出場の日本は吉井四郎監督の下、実業団や学生のトップ選手が集結して意地を見せる。
1次リーグ初戦でカナダを下し、第2戦のハンガリーと第6戦のイタリアにも勝利して3勝。決勝トーナメント進出は逃したものの、9-12位決定戦に回ってフィンランドも下した。オーストラリアには62-64で惜しくも敗れたが、過去最多の4勝をマークし、16カ国中最高位タイの10位で終えた。
中心選手の増田貴史が活躍し、国際的にも大きな一歩を踏み出す大会となった。優勝はアメリカ、2位はソ連、3位はブラジルだった。
1968年メキシコ大会は出場を逃したが、1972年のミュンヘン大会は2大会ぶりに出場。エジプトに唯一の勝利を挙げたが、アメリカに33-99で大敗するなど1勝6敗で14位に終わった。
1976年モントリオール大会は吉田正彦監督の下で巻き返しを期したが、1次リーグはソ連に63-129で大敗するなど5戦全敗。順位決定戦でもプエルトリコに敗れ、11位決定戦はエジプトの棄権で不戦勝となったものの、12カ国中11位と厳しい結果になった。
その後、国際大会に復帰した中国の台頭などもあり、日本はモントリオール以降、オリンピックから遠ざかる。11大会ぶりの出場となったのが2021年の東京大会だ。
ワシントン・ウィザーズの八村塁やトロント・ラプターズの渡邊雄太らNBAプレーヤーを擁して期待されたが、1次リーグ初戦でスペインに77-88で敗れて黒星スタート。第2戦はスロベニアに81-116、最終戦はアルゼンチンに77-97で敗れ、3戦全敗で敗退した。優勝はアメリカ、2位はフランス、3位はオーストラリアだった。
東京大会は開催国枠での出場だったが、2024年パリ大会は前年のワールドカップで出場権を獲得。48年ぶりの自力出場となった。
ロサンゼルス・レイカーズの八村塁やNBAからBリーグの千葉ジェッツ移籍が決まっていた渡邊雄太、NBA挑戦を表明していた富永啓生や河村勇輝ら「史上最強」と呼ばれたメンバーが集結。東京オリンピックで女子日本代表を銀メダルに導いたトム・ホーバスヘッドコーチの下、期待が高まっていた。
しかし、初戦でドイツに77-97で敗れると、 続くフランス戦は終了直前までリードしながら延長戦の末、90-94で悔しい逆転負け。最終戦はブラジルに84-102で3連敗を喫し、11位に終わった。金メダルはアメリカ、銀メダルがフランス、銅メダルはセルビアだった。
【関連記事】
・バスケットボール男子ワールドカップ歴代優勝国と開催地、日本代表成績
・バスケットボール女子日本代表の歴代オリンピック成績 パリ大会は屈辱の最下位
・夢の実現へ弾みをつけた河村勇輝、NBAのMVPに肉薄した“たかちゃん” スタッツで振り返るパリ五輪男子バスケの奮闘