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阪神の2010年代は3度の政権交代 Aクラス6度も勝率は5割を下回る

2020 1/15 06:00勝田聡
選手時代の阪神・金本知憲
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Ⓒゲッティイメージズ

Aクラス6度も平均順位は3.3位

2010年代の阪神はAクラスが6度、Bクラス4度と半分以上のシーズンでクライマックスシリーズへと進出している。しかし、リーグ優勝は1度もなく、勝率も.498とわずかながら、5割を下回ってしまった。10年間の勝率では巨人、広島に続いてリーグ3位だが、名門球団としては少し寂しいものがある。

2010年代の阪神


この表を見てもわかるようにAクラスが多いにもかかわらず、平均順位は3.3位。2010年代は真弓明信、和田豊、金本知憲、そして矢野燿大と4人がチームを率いた。各監督ともに上位争いはするものの、優勝には至らない。そんなシーズンが続いていた。

勝ちきれないシーズンが続く

1985年の日本一から長い期間に渡って低迷していた阪神が変わったのは、2000年代以降だろう。

2002年から星野仙一監督が指揮を執ると、その年のオフには金本知憲を獲得。金本は4番としてチームを引っ張り、翌2003年には18年ぶりのリーグ優勝。岡田彰布監督に代わって2年目の2005年にも再びセ・リーグ制覇と強豪チームになりつつあった。金本はチームの中心として2度の優勝に大きく貢献している。とくに2005年は37歳のシーズンながら、打率.327、40本塁打、125打点と文句なしの成績でMVPも受賞した。

しかし、それ以降は最下位にこそならないものの勝ちきれないシーズンが続く。2010年代に入ってもその流れは変わらない。2015年までは真弓明信(2009年〜2011年)、和田豊(2012年〜2015年)と2人の監督がチームを率いたが、ともに最高成績は2位。2014年はクライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズに進出したが、ソフトバンクの前に敗れ去っている。

勝ちきれないチームを変えるべく球団が監督に据えたのは金本だった。2000年代に選手としてチームを引っ張った金本に、監督としてチームの変革を託したのである。金本が就任した1年目となる2016年のチームスローガンは「超変革」。球団の期待を一身に背負っての登板だった。

金本監督は変革できず

金本監督就任1年目は開幕から髙山俊、横田慎太郎、板山祐太郎といった若手を序盤から抜擢。まさにチームを若い力で変革させようと試みた。しかし終わってみれば順位は4位。奇しくも星野監督の就任1年目と同じだった。

そのオフには、星野監督が自身を獲得したのと同じようにFA権を行使した糸井嘉男を迎え入れる補強を行っている。星野監督と同じく就任2年目での優勝が期待された。

その糸井効果もあり2017年は優勝こそ逃したものの、2位でクライマックスシリーズへ出場する。しかし、DeNAとのファーストステージで敗れ日本シリーズへの道は絶たれてしまう。甲子園球場で行われたクライマックスシリーズ第2戦は、激しい雨で開始が1時間以上遅れており、開催に関して賛否が飛び交ったことでも話題となった。

進退のかかった3年目は無念の最下位。2016年のドラフト1位で大砲候補として獲得した大山悠輔を育てようとする意志は見られたが、1本立ちするには至らなかった。この年限りで金本監督は辞任。矢野燿大監督へとバトンは受け継がれている。選手として2000年代に輝いた金本だったが、監督として2010年代を輝かしいものにすることはできなかった。

阪神は歴史のある球団。チームを変革させることは一筋縄ではいかない。星野監督のような剛腕でようやく動かせたのである。タイプが明らかに異なる矢野監督は2020年代に向け、チームを変えることができるだろうか。

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