ダルビッシュも絶賛の高校生左腕
10月17日に行われたドラフト会議では、ドラフト1位で高校生が7人も指名された。その7球団は将来チームの中心を担う逸材を獲得することに成功したと言える。
オリックスも高校生を指名した球団のひとつである。右の大砲候補である石川昂弥(東邦高)、社会人ナンバーワン左腕とも言われていた河野竜生(JFE西日本)のくじを外した後、宮城大弥(興南高)に入札。ここでは重複がなく、交渉権を獲得した。宮城は今夏の甲子園こそ出場できなかったが、U-18侍ジャパンに選出され、『U-18 ベースボールワールドカップ』にも出場していた。
宮城と言えば、今夏の沖縄大会の投球動画を見たダルビッシュ有(カブス)が自身のTwitterで『興南の宮城投手いいわぁ。 投げ方、球筋、総合的に好きすぎる。 俺あんなピッチャーになりたかったわぁ。』と投稿したことで、話題を呼んだ。
ダルビッシュは過去にも瀬戸内高校時代の山岡泰輔(現・オリックス)を褒め称えていた。山岡はプロ入り後、しっかりと結果を残し、来シーズンからは金子千尋(現・日本ハム/現・登録名・金子弌大)が背負っていた背番号「19」に変更することも内定している。
宮城がその山岡と同じオリックスに入団したのもなにかの縁かもしれない。
オリックスの高卒ドラ1左腕の実績は…
そんな宮城が入団したオリックスだが、高校生の左腕を1位で獲得したのは、2006年高校生ドラフトの延江大輔(瀬戸内高)以来13年ぶりのことだった。その前を遡ると2000年の内海哲也(敦賀気比高/入団拒否)、1997年の川口知哉(平安高/現・龍谷大平安高)、1994年の嘉勢敏弘(北陽高)と3人の「高卒ドラ1左腕」を指名している。1988年にオリックスとしてドラフト会議に参加するようになってから、宮城が5人目(入団は4人)の高卒ドラ1左腕となる。
では、これまでにオリックスに入団した3人の高卒ドラ1左腕は、どのような成績を残したのだろうか。
嘉勢は、1994年のドラフトでは投手で指名されているが、当初から打撃に対する評価も高く1年目から外野手に転向することになる。だが、3年目となる1997年に野手登録ながら一軍で初登板を果たす。その後2年間は登板機会がなかったが、2000年には21試合に登板し、プロ初勝利をマークした。翌2001年には投手へと登録を変更すると、中継ぎの一角として70試合に登板し、チームに大きく貢献している。
結局、投手としては136試合の登板で3勝7敗、防御率4.84の成績を残し、2004年に現役を引退した。
川口は夏の甲子園準優勝の実績を引っさげて入団。ビッグマウスで話題を呼んだが、7年間の現役生活で9試合の登板に終わった。12イニングで与四球が9個と制球難に苦しみ、プロでは1勝もできなかった。
2006年に指名された延江は身長184センチの長身左腕として注目されていたが、プロ入り後は一度も一軍での登板機会がなく6年で現役を引退。延江も実績を残すことができなかった。
このようにオリックスの歴史において、高卒ドラ1左腕はこれまで期待通りの結果を残すことができていない。しかし、それもすべて平成の時代のこと。元号が令和に変わって初のドラ1となる宮城が歴史を塗り替える、そんな未来に期待したい。
《関連記事》
▶オリックスのドラ1・宮城大弥は沖縄出身ナンバーワン左腕になれるか