3年連続25セーブ以上は5人だけ
昨年の日本シリーズで、頂点を争ったソフトバンクの森唯斗、広島の中崎翔太の両クローザーが6月に入って登録を抹消された。
2014年のデビュー以来、中継ぎ投手として活躍してきた森唯斗だが、クローザーとしてフル回転したのは18年シーズンからだ。一方、中崎翔太は2015年のシーズン途中でクローザーに。しかし、2017年は背中を痛め一時離脱。中継ぎとして活躍し、シーズン終盤から守護神の座を奪回したが、実働期間は3年と少ししかない。
そもそもプロ野球の歴史上、クローザーの活動期間は短い。
下表は2010年以降のクローザーの成績である。これをチェックしてみると、5年以上続けて活躍したのは岩瀬仁紀(中日)ただ一人。同時期、両リーグのセーブ王は25セーブ以上を挙げている。仮にそれを合格ラインとした場合、3年連続でクリアしたセ・リーグの投手は岩瀬の他に山崎康晃(DeNA)のみ。岩瀬にいたっては、2005~2013年までの8年間、25セーブ以上挙げている。
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パ・リーグではサファテ(ソフトバンク)、武田久(日本ハム)と松井裕樹(楽天)の3投手だけだった。ちなみに、2008年~2011年に林昌勇(ヤクルト)が、2007年から2011年に藤川球児(阪神)がそれぞれ25セーブを超えている。
また、2010年以降にセ・リーグで2年連続30セーブ超えを果たした選手は、2012、2013年の西村健太朗(巨人) 、2015、2016年の澤村拓一(巨人)、2014、2015年の呉昇桓(阪神)だ。
パ・リーグでは平野佳寿(オリックスーダイヤモンドバックス)が12セーブに終わった2015年以外、2013年から2017年まで25セーブ以上を記録しているが、30セーブには達していない。西野勇士(ロッテ)も2014年と2015年に30セーブ超えを果たしているが、連続したのは2年間だけだった。
ケガ、不振が原因に
クローザーがその座を手放すことになる原因はいくつかある。まずはケガだ。
2012年のシーズン中に右肘の故障で手術に踏み切った林昌勇(ヤクルト)は、自由契約に。MLBのカブス入りしたが活躍できず、韓国のサムスンに復帰した。
沢村(巨人)は2016年にセーブ王に輝いたものの、ハラハラドキドキの投球は「沢村劇場」と言われ信頼を勝ち取ることができず、2017年、鍼治療の際の診療ミスによると思われる肩の故障で、結果的にクローザーの地位を失った。
サファテは、右股関節の手術で2017年から戦線を離脱中。右肘の故障で先発に転向した後、今季再びリリーフに戻った西野は、クローザーへの返り咲きをうかがっている状況である。
また、不振によりクローザーの座を追われるケースもある。西村はセーブ王となった翌年の2014年に成績が上がらず、中継ぎに降格。武田は2014年に救援の失敗を続け、膝の手術などをしたものの再起とはならず2017年に退団。
一方、MLBへの挑戦でチームを去る選手もいる。平野、呉、古くは佐々木主浩(横浜)、などがそのケースで、今後もそうした選手が現れる可能性は十分にある。
チームの成績に大きく影響するだけに、球団は長期間任せられる投手が欲しいところだが、簡単ではなさそうだ。
チームの躍進も支えた岩瀬仁紀のすごさ
そもそも、クローザーは大変なポジションである。リーグ内の5球団と繰り返し対戦する日本のプロ野球で、何度も向かい合い、打者を封じ込め続けることは難しい。勝負を決する場面でマウンドに向かい、並み居る強打者と勝負をする重圧が、体をむしばむ可能性もあるだろう。
そうした状況を乗り越え、長期間にわたり守護神の座を守り続けたのが岩瀬仁紀だ。05年から13年まで9年連続で25セーブどころか、30セーブ以上をクリアした。この9年間で中日は3度のリーグ優勝に輝き、Aクラスを逃したのは1度だけ。最終回のマウンドに上がり続けたクローザー・岩瀬の貢献度は計り知れない。
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だが、怪我と無縁というわけではなかった。14年の8月に左肘を故障し、登録抹消。いずれもNPB記録の連続50試合登板が15年で、連続30セーブが9年。途絶えた後は、守護神の座を退かざるを得なかった。
ベンチやチームメート、ファンからも信頼される一方、対戦チームからは顔も見たくないと思われるような存在が理想のクローザーだ。それを体現し、記録にも記憶にも残る存在となった岩瀬。彼に続く絶対的守護神の登場に期待したい。