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【1990年代後半を振り返る】ドラフト下位指名からのブレイクは?

2017 9/13 14:03cut
野球,ボール
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1995年:控え捕手として現役を全うした鶴岡一成選手

各球団2名までの逆指名が認められていた1995年のドラフト会議。注目を集めていたのは逆指名が可能な大学生、社会人ではなく高校生だった。PL学園高校の福留孝介選手だ。高校生としては史上最多となる7球団が入札。抽選の末に近鉄バファローズが交渉権を獲得したが、意中の球団ではなくプロ入りを拒否。日本生命へと進んでいる。

また、中日ドラゴンズは荒木雅博選手、福岡ダイエーホークスは斉藤和巳選手と後の中心選手を指名している。

この年に下位指名から飛躍を遂げたのは鶴岡一成選手だ。鶴岡選手は横浜ベイスターズから5巡目指名を受けプロ入り。高卒捕手ということもあり一軍デビューは5年目の2000年と時間がかかった。しかし、そこから息の長い活躍を見せ巨人、DeNA、阪神の控え捕手として活躍。一度も規定打席に到達することはなかったが、2016年まで現役生活を続けていた。貴重な控え捕手としての役割を全うしたのだ。

1996年:守備の名手小坂誠選手はドラフト5位!

各球団2名までの逆指名が認められていた1996年のドラフト会議。この年はアトランタオリンピックが開催された年でもあり、その日本代表メンバーが中心となっていた。主なところでは井口忠仁(現・資仁)選手、松中信彦選手が福岡ダイエーホークスを逆指名。谷佳知選手はオリックス・ブルーウェーブを逆指名し入団に至っている。

また、日本ハムファイターズ3位指名で小笠原道大選手、西武ライオンズ4位で和田一浩選手が入団。後のプロ野球界を引っ張っていくことになる選手達がドラフトにかかっている。

上位陣に大物選手が揃っていた年ではあったが、下位指名からもブレイクを果たした選手は存在する。千葉ロッテマリーンズ5位の小坂誠選手がそのひとりだ。俊足を武器とし広大な守備範囲を誇った小坂選手。1年目から全試合に出場し新人王を受賞。2年目には盗塁王を獲得するなどレギュラーに定着した。また、その守備範囲は一部熱狂的なファンから「小坂ZONE」と呼ばれたほどだった。

また、日本ハムは7位で高橋信二選手を指名。晩年は捕手から一塁にコンバートされたが日本ハム、巨人、オリックスの3球団で2014年まで息の長い活躍を果たしている。

1997年:「アライバ」の「イバ」こと井端弘和選手はドラフト5位!

各球団2名までの逆指名が認められていた1997年のドラフト会議。一番の注目となったのは平安高校の川口知哉選手だ。甲子園で準優勝を果たし、左腕から繰り出されるストレートは140キロ台を記録。「ドクターK」と称されていた逸材だ。川口選手には4球団が競合しオリックス・ブルーウェーブが交渉権を獲得。プロ入りを果たした。また、上位指名では2017年シーズン福岡ソフトバンクホークスで活躍する五十嵐亮太選手が、ヤクルトスワローズから2位指名を受け入団に至っている。

下位指名からもっともブレイクを果たした選手は亜細亜大学の井端弘和選手だろう。中日ドラゴンズから5位指名を受けプロ入り。1年目の1998年から18試合に出場するも翌1999年は出場がなかった。2000年から徐々に出番を増やすと、2001年に140試合出場を果たしレギュラーに定着。荒木雅博選手とともに鉄壁の二遊間を組み、中日の黄金時代を支えている。ファンからは「アライバ」の愛称で親しまれていた。晩年は巨人に移籍し2015年に現役引退。2017年は巨人のコーチを務めている。

1998年:ドラフト6位から名球会へ!新井貴浩選手

各球団2名までの逆指名が認められていた1998年のドラフト会議。同制度を用いて上原浩治選手(現・カブス)、二岡智宏選手(元・日本ハム他)が読売ジャイアンツへ入団。両名とも巨人で主力として活躍し、他球団へ移っていった。

また、この年は横浜高校が春夏の甲子園を連覇。エースであった松坂大輔選手(現・ソフトバンク)が人気を集めた。3球団が競合し、西武ライオンズが抽選の末に交渉権を獲得している。松坂選手は西武入団後に結果を残し、メジャーリーグへ移籍。ワールドチャンピオンに輝くなどの結果を残した。その後、2015年からは福岡ソフトバンクホークスへ移籍し、日本球界にもどってきた。しかし、2017年8月時点で一軍登板はなく復帰が待たれている。

また、この年の下位指名からは名球会入りを果たした選手が誕生した。広島東洋カープが6位で指名した新井貴浩選手だ。新井選手は2005年に打点王を獲得するなど4番として活躍。2007年オフにFA宣言し阪神タイガースへ移籍し、2011年に打点王を獲得するなど一定の成績を残している。2015年からは古巣である広島に戻り、2016年のリーグ優勝に大きく貢献した。

また、ドラフト5位で横浜ベイスターズから指名を受けた金城龍彦選手。入団2年目の2000年に首位打者、新人王を獲得するなど活躍を果たしている。

1999年:ドラフト5位から一流メジャーリーガーへ

1球団、最大2名までの逆指名が認められていた1999年のドラフト会議。8球団13名の選手が逆指名によりプロ入りを果たしている。その中には読売ジャイアンツからメジャーリーグへと移籍した高橋尚成選手、千葉ロッテマリーンズ、横浜ベイスターズで活躍し引退後にニュージーランドで活動している清水直行選手も含まれていた。

その他の上位指名選手からは田中賢介選手(日本ハムファイターズ)、栗原健太選手選手(広島他)がプロ入り。また、中位指名では川崎宗則選手(現・ソフトバンク)ら高卒の選手達が多くプロ入りを果たしている。

下位指名ながらもっともブレイクを果たしたのは、大阪近鉄バファローズが5位で指名した岩隈久志選手(現・マリナーズ)だろう。岩隈選手は堀越高校時代に甲子園出場経験はなかったが、長身から投げ下ろすストレートに注目が集まっていた。高卒2年目となる2001年にデビューを果たすと2003年、2004年に連続15勝を挙げエースに昇格。近鉄消滅後は楽天へ移籍し2008年に21勝をマークし最多勝他、タイトルを総なめ。沢村賞も受賞している。その後、海外FA制度を用いてシアトル・マリナーズへ移籍。2016年終了時点で63勝を挙げるなど、先発ローテーションの一員として結果を残している。

その他にも佐竹健太選手(広島5位)、青木勇人選手(西武6位)といった中継ぎとして長きにわたり貢献した選手も指名されている。