3連覇中の王者オリックスに快勝で4年ぶりV
プロ野球パ・リーグでソフトバンクが23日、4年ぶり20回目の優勝を果たした。優勝マジック1で迎えたこの日、敵地・京セラドーム大阪で行われたオリックス戦に9-4で快勝。工藤公康監督時代の2020年以来のパ・リーグ制覇を成し遂げた小久保裕紀監督は8度、宙に舞った。
ペナントを目前にして打線が2試合連続で火を噴いた。初回1死から今宮健太がオリックス先発の才木海翔からヒットを放ち、2死後に山川穂高の四球で一、二塁とチャンス拡大。ここで5試合連続5番スタメン出場の中村晃がタイムリーを放ち、2戦連続となる先制点を挙げた。
その裏、オリックスに2点を奪われ逆転されるも、4回に川村友斗と周東佑京のタイムリーで3点を挙げ再逆転に成功。続く5回にもオリックス2番手の椋木蓮を攻め、柳町達の2点タイムリー二塁打、川村の二打席連続タイムリーで2イニング連続の3得点で突き放した。
その後も相手の守備の乱れから2点を追加し、終わってみれば15安打、9得点で完勝。一切の隙を見せずリーグ3連覇中のオリックスを圧倒し、王者交代を成し遂げた。
柳田悠岐、オスナ、近藤健介…相次いだ故障者
結果的には4月4日の開幕6試合目終了時点から一度も首位を譲らない独走Vだったが、決して平坦な道のりではなかった。
小久保裕紀監督が頭を悩ませたのは故障者が続出したことだ。5月31日の広島戦で柳田悠岐が右太もも裏の肉離れを起こして戦線離脱。その時点で打率.293、4本塁打、35打点、出塁率.405、OPS.819をマークしていた不動の3番の名前がスコアボードから消えた。
前日5月30日の巨人戦で三森大貴が右手人差し指を骨折した翌日のアクシデント。3番には栗原陵矢が後釜として起用された。
クローザーとして20セーブを挙げていたロベルト・オスナも7月5日に下半身のコンディション不良で登録抹消。代役クローザーを務めた松本裕樹も右肩痛で9月5日に二軍落ちした。
9月にはさらに離脱が相次ぎ、40試合登板で19ホールドを挙げていた藤井皓哉が腰痛で9月1日に抹消。8月18日にプロ初勝利を挙げた松本晴は左足首の捻挫で9月11日に抹消、先発で8勝を挙げていた大関友久も9月18日に左大円筋損傷で抹消された。
極めつきは近藤健介。打率.314、19本塁打、72打点をマークしていた不動の5番が9月17日に右足関節捻挫で抹消された。
3・4月は18勝6敗2分け、6月は17勝5敗1分けとハイペースで貯金を増やし、7月30日に優勝マジック42が点灯。しかし、7月は11勝10敗、8月は14勝11敗とややペースダウンしたのもケガや勤続疲労と無関係ではないだろう。特に8月は防御率3.41と今季の月別で唯一、1試合平均3点以上を失っていた。
山川穂高スランプでも我慢
それでも小久保監督は我慢した。西武からFAで獲得した山川穂高は6月に打率.182でノーアーチと大スランプに陥り、7月2日の西武戦でようやく31試合131打席ぶりの本塁打を放ったが、その間も4番から外さなかった。
簡単に結果が出ない、調子が上がらないのは、現役時代に誰よりも練習した努力家だからこそ知っている。日々の結果に一喜一憂せず、選手を信頼し続けた。
山川に限らず、個々の能力は高い選手が揃っている。個人タイトルは投打ともソフトバンク勢が独占しそうな勢いだ。監督の我慢が、ナインの能力をフルに発揮させた。
最後の最後で川村友斗がプロ初本塁打、岩井俊介がプロ初勝利を挙げたのも、主力が戦線離脱しても耐え続けた指揮官の我慢の結晶だろう。
青山学院大時代に主将として大学日本一、バルセロナオリンピックで銅メダル、ダイエー入り後は本塁打王や打点王に輝きながら巨人への無償トレードもあった。3年後にソフトバンクに戻り、通算413本塁打。引退後は侍ジャパンの監督として2017年のワールド・ベースボール・クラシックで3位に入った。
そして、愛するホークスで指揮官として優勝。輝かしい球歴にまた一つ勲章が加わった。全ての苦労の延長線上に今がある。努力と忍耐の男・小久保裕紀。次は4年ぶりの日本一に向け、まだ仕事は残っている。
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