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江川卓がプロ入り拒否した1977年ドラフトの答え合わせ、法政大から5人指名

2022 9/28 06:00SPAIA編集部
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最大の目玉は法政大・江川卓

夏の甲子園で東洋大姫路が「バンビ」坂本佳一を擁する東邦を破って優勝した1977年。秋のドラフトでは、東京六大学リーグ通算47勝をマークした法政大の江川卓に注目が集まっていた。

当時は予備抽選で指名順を決定し、奇数順位は予備抽選の1番から12番へ、逆に偶数順位は12番から指名していく変則ウェーバー方式。現在のように重複すれば抽選というルールではないため、予備抽選による運、不運が大きかった。予備抽選の結果はクラウン―巨人―阪急―阪神―大洋―ヤクルト―日本ハム―広島―近鉄―南海―ロッテ―中日に決まった。

1977年ドラフト1巡目指名選手の成績


各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。

巨人は早稲田大・山倉和博、阪急は東洋大姫路高・松本正志を指名

予備抽選で1番くじを引いたのは、前年オフに太平洋クラブから球団名が変更になったクラウンライター。巨人を熱望していた江川卓を敢然と1位指名した。しかし、作新学院高時代も阪急の1位指名を拒否した江川は「九州は遠い」と入団を拒否。結果的には翌年の「空白の一日」騒動を経て巨人入りすることになった。

巨人は早稲田大の捕手・山倉和博を指名。東邦高時代に南海の2位指名を拒否して大学進学した山倉は、盗塁王に輝くなど俊足強打の捕手として4年時には主将も務めた。巨人入り後は5度の2桁本塁打を記録するなど、意外性のある打撃と巧みなリードで正捕手として活躍。通算113本塁打、426打点、打率.231をマークし、1990年に引退した。

阪急は全国制覇した東洋大姫路高の左腕エース松本正志を1位指名。1年目から6試合に登板し、日本シリーズでも登板するなど順調なスタートを切ったが、その後は大成せず1987年限りで引退するまで32試合登板で1勝3敗に終わった。

阪神は三協精機の右腕・伊藤弘利(本名・文隆)を指名。キレのいい速球を武器に1982年に10勝をマークするなど、先発として活躍した。1991年に引退するまで通算320試合登板で54勝81敗4セーブの成績を残した。

大洋は門田富昭、ヤクルトは柳原隆弘、広島は田辺繁文

大洋は西南学院大学の右腕・門田富昭を1位指名。1年目から39試合に登板して5勝を挙げると、1982年と1985年には8勝をマークするなど通算31勝を挙げ、1987年限りで引退した。

ヤクルトは大阪商業大の柳原隆弘を指名した。ヤクルトでは5年プレーし、1982年オフに井本隆と2対1の交換トレードで鈴木康二朗とともに近鉄へ移籍。1985年には95試合に出場したが徐々に出番が減り、1988年オフに金銭トレードで移籍した日本ハムでは一軍出場のないまま現役を引退した。通算打率.218、19本塁打、71打点だった。

日本ハムは大東文化大のアンダースロー石井邦彦を指名した。1年目の9月に初登板初先発したが、それが最初で最後の一軍マウンド。1982年限りで現役引退した。

広島は地元・盈進高の田辺繁文を指名。身長185センチの大型左腕として期待されたが、1試合に登板したのみで1983年に引退した。

中日1位の藤沢公也は5度目の指名でプロ入り

近鉄は法政大で江川のチームメイトだった金光興二を指名した。広島商時代の1973年センバツでは江川擁する作新学院を破り、夏は全国制覇。大学でも1年からセカンドのレギュラーとして活躍し、リーグ戦通算108安打をマークした注目選手の一人だった。しかし、地元・広島から指名されず、近鉄入りを拒否。三菱重工広島に進み、引退後は母校・広島商や法政大の監督を務めた。

南海は新日鉄堺の捕手・中出謙二を1位指名した。野村克也選手兼任監督のロッテ移籍に伴い、「ポスト野村」の期待をかけられたが、2年目の42試合出場が最多。阪急移籍後の1987年限りで現役を引退した。

ロッテは法政大の捕手・袴田英利を指名。江川卓とのバッテリーでベストナインに4回輝くなど、即戦力として高評価された。ロッテ入り後は仁科時成や村田兆治らとバッテリーを組み、1990年に引退するまでロッテひと筋。通算911試合に出場し、打率.231、38本塁打、231打点の成績を残した。

中日は日本鉱業佐賀関の右腕・藤沢公也を1位指名した。八幡浜高時代にロッテの3位指名を拒否しており、社会人に進んでからも1971年のヤクルト11位指名、1973年の近鉄4位指名、1976年の日本ハム2位指名をいずれも拒否。4度の入団拒否を経て、5度目の指名でプロ入りし、1年目に13勝5敗で最高勝率と新人王に輝いた。1984年に引退するまで通算27勝を挙げた。

2位以下では亜細亜大・古屋英夫(日本ハム2位)、智弁学園高・山口哲治(近鉄2位)、星稜高・小松辰雄(中日2位)、東海大・遠藤一彦(大洋3位)、新日鉄堺・尾花高夫(ヤクルト4位)、東洋大・達川光男(広島4位)らがプロ入り。法政大からは植松精一(阪神2位)、島本啓次郎(巨人6位)も指名され、江川、金光、袴田と合わせて史上最多の計5人が指名された。

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