引退後に「株式会社斎藤佑樹」設立
斎藤佑樹(34)が引退して1年近くが経過した。かつて甲子園を沸かせた右腕は、2021年12月に「株式会社斎藤佑樹」を設立。「ハンカチ王子」という自身をスターにしたイメージから脱却して第二の人生を歩んでいる。まずは斎藤の野球人生から振り返ってみたい。
1988年6月6日、群馬県出身。小学生時代から地元の野球チームに在籍し、主将を務める中心選手だった。中学時代は軟式野球部に所属。群馬県大会で準優勝、関東大会ではベスト8の成績を残す。中学時代にはすでに地元紙に取り上げられるほどの実力を発揮していた。
2002年夏の甲子園で地元・群馬県代表の桐生市立商の応援へ行ったことをきっかけに、斎藤は甲子園への憧れを強めたという。「文武両道を目指す」という目標を果たすため、早稲田実へ進学。1年生でベンチ入りするなど、早くから頭角を現した。
2年生時の夏の西東京大会では、日大三との準決勝で3本塁打を浴びてコールド負け。しかし、秋季大会では優勝して明治神宮大会に出場し、準決勝で駒大苫小牧に敗れた。この時投げ合ったのが、後に甲子園で名勝負を繰り広げる田中将大(現楽天)だった。
甲子園に降臨した「ハンカチ王子」
年が明け、2006年センバツに出場すると、2回戦で関西(岡山)と延長15回引き分け再試合の末に勝利を収めるなどベスト8進出。準々決勝で、優勝した横浜に敗れた。
夏は西東京大会を順当に勝ち上がり、決勝で日大三を撃破して甲子園出場を決めた。2回戦では大阪桐蔭の中田翔(現巨人)から3三振を奪うなど強豪をなぎ倒して決勝に進出。前年秋の明治神宮大会で敗れた田中将大率いる駒大苫小牧と対戦した。
語り継がれる名勝負に説明は不要だろう。延長15回まで1-1のまま決着はつかず再試合が決定。決勝の再試合は、1969年の松山商-三沢以来37年ぶりだった。
翌日の再試合でも斎藤は自ら志願して登板。大会を通じて歴代1位の948球を投げ抜き、4-3でライバルを下して全国制覇を果たした。
それまでユニフォームやアンダーシャツで汗を拭う球児が大多数だった中、ポケットからタオルハンカチを取り出して丁寧に汗を拭き取る姿と端正なマスクも手伝って「ハンカチフィーバー」が勃発。斎藤は一躍、時の人となった。
早稲田大で飾ったアマチュア時代有終の美
当時からプロ入りを期待する声は多かったが、斎藤は早稲田大への進学を選択。1年生時の春季リーグ戦から出場し、いきなり4勝を挙げて、1年生投手としては史上初のベストナインに選ばれる活躍を見せる。
その後も白星を積み重ね、東京六大学リーグ通算31勝をマーク。4年生時の明治神宮大会・大学の部では1回戦から決勝まで全試合に登板し、大学日本一に輝いた。
通算30勝300奪三振は東京六大学史上6人目。夏の甲子園優勝と両方を成し遂げたのは斎藤が唯一で、まさにアマチュア球界の大スターとして、満を持してプロ入りすることになった。
ドラフトで4球団競合の末に日本ハム入団
迎えた2010年のドラフト会議。斎藤のほか、大石達也と福井優也の「早大トリオ」に注目が集まっていた。斎藤にはヤクルト、日本ハム、ロッテ、ソフトバンクの4球団が1位指名し、抽選の末に日本ハムが交渉権を獲得。かつて甲子園で死闘を繰り広げた駒大苫小牧のある北海道の球団へ入団することになった。
しかし、プロの世界はアマチュア球界の大スターにも厳しかった。4月にルーキー一番乗りで初勝利を挙げたものの、19試合登板で6勝6敗。この年の勝ち星がキャリアハイになろうとは、本人はもちろん、周囲も予想できなかっただろう。
2年目は栗山英樹新監督から指名されて開幕投手を務め、9回1失点で初完投勝利を挙げたが、結局5勝どまり。3年目以降は一軍での登板機会も減り、2021年限りで引退。89試合登板で15勝26敗、防御率4.34がプロ11年間の通算通算だった。
新たなセカンドキャリアを切り開くか
アスリートのセカンドキャリアは様々な競技でたびたび話題になっている。プロ野球でもご多分に漏れず、コーチやスカウト、フロントマンとして球団に残れるのは一握り。多くの選手は引退後も生活するために何らかの職に就く。
目立った活躍をした人気選手なら新聞社やテレビ局の解説者として活動する場合もあれば、最近は独立リーグでプレーしたり、指導者になったり、違うカテゴリーでユニフォームを着続ける例も多い。しかし、斎藤はそのどれも選ばなかった。
「株式会社斎藤佑樹」の公式HPには「野球未来づくり」と題して「野球を通じて誰かの力になろうとめざす日々を、これからも続けようと思う」と理念を説明している。取材される側から取材する側に回り、自らカメラを持って離島の高校を訪問したり、その活動は多岐に渡る。
もちろん、斎藤の知名度があるからこそ可能なことも多いだろうが、自らの経験や人脈を活かして野球界に恩返しする意義は大きい。それをいかにビジネスモデルとして確立するかが最大の難問だろう。そこをクリアできれば、引退後の新たなセカンドキャリアとして先鞭をつけることになり、後に続く選手が増える期待も持てる。
日本中を席巻した「ハンカチ王子」の大フィーバーから16年。マウンドとは違う場所で汗をかく斎藤の今後に注目だ。
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