圧倒的回数、ワールドシリーズ制覇27回
ニューヨーク・ヤンキースは、1901年アメリカンリーグ発足に伴い、ボルチモア・オリオールズの名前で創設、1913年からニューヨーク・ヤンキースを名乗る。以降地区優勝18回、リーグ優勝40回を数え、ワールドシリーズ制覇は27回もある。2位のセントルイス・カージナルスが11回なので、圧倒的な回数だ。
日本人選手の在籍も多く、松井秀喜選手やイチロー選手も活躍し、2017年は田中将大投手がエースとして投手陣を引っ張っている。しかし、近年は全盛期の勢いはなく、2015年は地区2位でプレーオフに進出するものの、ワイルドカードゲームで敗退、2016年は地区4位に沈んだ。
「背番号3」野球の神様ベーブ・ルース選手
ベーブ・ルース選手は、1914年ボストン・レッドソックスよりメジャーデビューを果たす。ニューヨーク・ヤンキースには1919年に移籍、1920年から1934年までの15年間をプレーした。1年目となった1920年は142試合に出場、本塁打54本、打点137点で2冠を獲得。
当時は20本も打てば本塁打王をとれる時代だったため、54本は驚愕を持って迎えられた。しかし翌1921年はさらに記録を伸ばし、59本塁打、171打点をマーク、2年連続2冠を達成した。
通算では22年間プレーして、本塁打王12回、打点王6回、首位打者1回の記録を残した。ル-ス選手は野球の神様と呼ばれ、通算714本塁打は、長い間ホームランバッターの目標になった。
「背番号4」早世の三冠王、ルー・ゲーリッグ選手
ルー・ゲーリッグ選手は、1923年ニューヨーク・ヤンキースよりメジャーデビューを果たす。1925年にはレギュラーに定着すると、1927年には才能が開花、175打点を挙げ打点王に輝いた。そして1931年には184打点を記録、1934年には三冠王に輝く。
ゲーリッグ選手は、ヤンキース一筋に現役時代を過ごし1939年に36歳で引退した。残した記録は三冠王1回、首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回、MVP2回、満塁本塁打数23本に加えて、連続試合出場2130試合がある。
1925年~1939年にかけての14年間に渡るもので、鉄の馬と呼ばれた。しかし体は病気に蝕まれていたのだ。引退の原因となったのは筋萎縮性側索硬化症だった。手の施しようがなく、1941年37歳の若さでこの世を去った。
「背番号5」56試合連続安打ジョー・ディマジオ選手
ジョー・ディマジオ選手は1936年ニューヨーク・ヤンキースよりメジャーデビューを果たした。1年目から打率.323、本塁打28本、打点125とベーブ・ルース選手引退の穴を埋めた。既に黄金時代を迎えていたチームは円熟期にあり、この年からワールドシリーズ4連覇を達成した。
そんなチームにとって、ディマジオ選手の加入は大きな力になった。1941年には125打点で打点王に輝くとともに、56試合連続安打も達成している。この記録は2016年現在、まだ破られていない。
ディマジオ選手は現役の13シーズン全てをヤンキースでプレーし、首位打者2回、本塁打王2回、打点王2回を獲得、MVPには3度選ばれている。プレーは華麗で、あの長嶋茂雄さんもファンの一人だった。
「背番号7」テープメジャー・ショット、ミッキー・マントル選手
ミッキー・マントル選手は、1951年ニューヨーク・ヤンキースよりメジャーデビューを果たした。1年目は96試合の出場にとどまり、結果は残せていない。それでも2年目には本塁打も20本を越し、1955年には37本で初の本塁打王に輝く。そして、1956年には52本塁打、130打点、打率.353で三冠王を獲得した。1968年までの18年間をヤンキース一筋でプレーし、首位打者1回、本塁打王4回、打点王1回を獲得、MVPには3度選出された。とにかく、ボールをよく飛ばす選手で、1953年に放った場外ホームランは、巻き尺(テープメジャー)を使って計測すると172mあった。以降、特大ホームランはテープメジャー・ショットと呼ばれている。
まとめ
MLBニューヨーク・ヤンキースの、主だった永久欠番選手を紹介した。さすがMLBの盟主にふさわしい陣容で、紹介しきれなかった往年の名選手も沢山いる。最近ではセーブ王マリアノ・リベラ投手や、デレク・ジーター選手も、仲間入りを果たしている。チームの近況を気につつ、2017年の活躍には大いに期待したい。